【長い論文】 すこしまえに「長い詩」(投稿詩の傾向)について書いたが、長さをかんじる論文というものもある。分量的に長大ならそれはそれで立派なのだが、論述効率がひくく、無駄をかんじる論文が、とくにぼくの職場にかかわる院生の、映画関係の論文に目立つ気がする。そのような論文はたとえ二万字であっても読む最中から「長いなあ」と不平が漏れでてくる。 そうした冗長性の理由をかんがえてみよう。 ●まず場面の起こしではたぶん小説の描写に魅せられたことがない欠落が作用しているのではないか。それで「言外」を操作することができず、カメラの運動、構図などを逐一的に書いてしまう。これはむろんDVDのリモコン操作にも裏打ちされているが、そうしたディテールを書かなくても場面上の意味・運動などは、修辞が正しければ具体化する。一をしるして十をつたえるように。 ●たとえばカメラ運動のみを考察するなら、数学的な書式を選択すべきだ