海のうえで孤り暮す少女――思いかえすとシュペルヴィエルの「沖の少女」の翻訳を、ネット上に発表したのが二〇一一年の四月六日、それは、なにかに衝き動かされて、この作品を精読しなければならない――そんな思いに駆られ訳しはじめたのがその直前だったはずで、そのときの記憶は、どこか朧である。 パソコンのワードデータから「沖の少女」のコンテンツ作成日時を見て驚いた。二〇一一年三月八日。あの震災の三日前に、どうしてこの詩を訳そうとしたのか――いまでは思い出すことはできないが、ある日を境に、いまこの詩を訳すことはなにか不愉快なことではないかと感じていたことを憶えている。そして、混乱する日常のなかで手放してむしろ当然なこの仕事を続けて、わずか一カ月たらずで仕上げているのは、狂ってる……そう、なにか、狂っていることが、大事なのだ。狂ってゆく世界のなかでじぶんだけの狂気を発狂すること。「世間」に巻き込まれぬよう、