タグ

ブックマーク / d1953coldsummer.blog64.fc2.com (6)

  • 『KOTOKO』 Coccoと琴子の狂気は現実を切り裂き侵蝕する - 1953ColdSummer

    KOTOKO 2012/日 PG12 監督:塚晋也 企画・原案・美術・音楽・主演:Cocco  今年っちゅうとね西暦2012年干支は辰年ゴータマ・シッダールタつまり釈迦が入滅してから2554年、地球が滅亡するとの情報も頻繁にやり取りされる極めてダイナミズム溢れる年で、迷妄に走る人も居れば大雨の戒めとばかりに開き直る人も居るのであって、世相はより伏魔殿じみてきておる。  そんな魔の2012年に上映された日映画で、『ヒミズ』(自分の感想はこちら)と並び、今年のベスト10入りを果たした映画が現れた。 『KOTOKO』である。塚晋也監督とシンガーソングライターCoccoが手を組み悪だくみをし、2人だけ(と、まあ、その他も)で作り上げた現代の近松門左衛門、『KOTOKO』である。コッコがコトコ。はは、コッコがコトコ、コッコがコトコですって。はは、とトコトコ歩いて半笑いで観に行ったのであるが、

    Imamu
    Imamu 2012/05/30
    「手首はざくざく切るわ人間をざくざく刺すわまさかの人体破壊描写も多めだわで」「街中に、琴子予備軍が存在するのだ」
  • 『塔の上のラプンツェル』 寓話と3Dの幸福なるハイブリッド。 (2011/アメリカ G 監督:ネイサン・グレノ 製作総指揮:ジョン・ラセター) - 1953ColdSummer

    1953ColdSummer : 『塔の上のラプンツェル』 寓話と3Dの幸福なるハイブリッド。 (2011/アメリカ G 監督:ネイサン・グレノ 製作総指揮:ジョン・ラセター) 『髪長姫』の寓話を最先端のCGで描き出したディズニー長編アニメ第50作。  くるくると変わる髪長姫ことラプンツェルの表情がとても愛くるしく、また、その王道的なハッピーエンドに夢の国の魔法を見た。  作の監督の1人であるネイサン・グレノは7年もの間、CGに於ける「髪の毛」の質感や描写といったものに注目し、「髪の毛をちょん切ったら魔法が出てくるようにしたい」と考え続けていたという。そう言うだけあって、作の主人公ラプンツェルの髪の毛はとても美しく、ダイナミズム溢れる動きを見せる。だが、髪の毛自体が触手のようにウネウネと動くのではなく、飽くまで主人格はラプンツェルにある。時には塔を昇るためのロープ代わりに、時にはコソ泥

    Imamu
    Imamu 2011/03/26
    「ラプンツェルのボリューム感と優雅さを兼ね備えた髪の毛の動きのシミュレーションのためだけにテクニカル・チームを編成し、専用のソフトまで使ったという。その髪の毛の本数は14万本」
  • 『ぼくのエリ 200歳の少女』 それでも僕は殺人を肯定する。 (2010/スウェーデン PG12 監督:トーマス・アルフレッドソン 原案:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト『モールス』)

    1953ColdSummer : 『ぼくのエリ 200歳の少女』 それでも僕は殺人を肯定する。 (2010/スウェーデン PG12 監督:トーマス・アルフレッドソン 原案:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト『モールス』) 何がここまで美しいのだろう。  スウェーデンの雪景色? 主演2人の子役の美貌? 12歳という限定された時代にのみ覚える淡い恋慕?  それらの漠然とした美しさを以て「美しい映画だった」と書き捨てることは簡単だ。だが、それをしてしまっては、「200歳の少女」というふざけきった邦題に屈するに等しい恥辱を味わうことになる。  輪郭をぼやけさせたまま、何だかふわふわした意味で用いられる「ファンタジー」という形容に逃避しないことが、良質な「ファンタジー」を読み解くためのコツである。「ファンタジー」という部分は、「ホラー」や「ボーイ・ミーツ・ガール」と置き換えてもいい。 『ぼくのエリ 

    Imamu
    Imamu 2011/02/13
    『人間の規範的な枠を取り払える内に取り払ったオスカー少年と、その後押しをしたエリという吸血鬼のどこまでも子供めいた共犯関係が、ただあるだけだ』
  • 『サマーウォーズ』を称揚しているバカは『恋空』の悪口も言うんじゃねえぞ! Kill The Anime Otaku!!!!! 1953ColdSummer

    まず『サマーウォーズ』というアニメ映画に関しては、こういった正当な感想がネット上に多々アップされているということを前提に話を進める。  アナーキーな自警団「サマーウォーズ」 - 深町秋生のベテラン日記  (*´Д`)=з「サマーウォーズ」 - ゾンビ、カンフー、ロックンロール  メシウマの無い物語『サマーウォーズ』 - くりごはんが嫌い  CinemaScape/Comment: サマーウォーズ シナリオがメチャクチャ。年ワースト級の駄作  『サマーウォーズ』 これ誰が褒めてるの? (2009/日 監督:細田守) 1953ColdSummer  他にも読むべき感想はあるのだが、すべてを羅列していると日が暮れるので(もう暮れているけど)、以上の感想が『サマーウォーズ』というアニメ映画質を分かりやすくダイレクトに伝えているものとして提示した。 『サマーウォーズ』は、普段アニメしか観ない

    Imamu
    Imamu 2010/08/17
    恋空をサマーウォーズみたいな駄作と一緒にしないでください(棒読み)
  • DrasticDramatic 桜庭一樹とアーバンギャルドに見る、クリーチャーとしての少女崇拝。

    桜庭一樹の『私の男』と『荒野』を続け様に読み、さらにアーバンギャルドの『少女都市計画』を聴いたことから、頭がガーリーでポップでキッチュになってきたので大脳皮質の糖分多めのままに「被造物としての少女」について書いてみようと思う。  勘違いの無いように書き添えておくと、わたしは「私JKでぇ〜す☆」「私ってば腐女子なんですぅ〜☆ 腐っててすいませ〜ん☆」というアピールには殺意を覚える上、その手のヤカラが目の前にいたら鼻の穴に指を突っ込んで顔面パンチを喰らわせてやりたくなるので、身に覚えのある奴はうちの敷居をまたぐでねえぞ! この淫売! 雌! 金雌(ブロンダー)! (ラブやんネタ) 桜庭一樹が小説のテーゼとしている「少女」は、確かに馬鹿にでもわかるようにデフォルメされた「被造物としての少女」だ。アニメやエロゲ、ラノベから漫画に至るまで異なる分野からエクスプロイトされたであろう「少女」は、おおよそ

    Imamu
    Imamu 2009/10/26
    「被造物としての少女」 桜庭一樹-「決め付けられた」少女/アーバンギャルド-「自らを被造物としてデザインした少女」
  • DrasticDramatic 『ブラッドハーレーの馬車』(沙村広明)を読んだ。救いなんてどこにもなかったよ。

    この物語は非常に美しい。  嫌味や皮肉でそう言っているのではなく、無残絵の残酷美にも通底する美しさが全編に渡り緻密に練り込まれていると、そう感じた。  ジャック・ケッチャムやフランク・ヘネンロッターのような、偏差値貧乏な残酷さを「不謹慎」と断じるならば、作『ブラッドハーレーの馬車』はその「不謹慎」の一歩先を行っている。過剰では決してないが、計算され尽くした暗黒がそこにぽっかりと口を開けている。  作は第一話から最終話まで、徹底して救いのない残酷劇として一貫させている。肉体的に、精神的に、或いは常識を、壊せるものはどんどん壊そうという勢いで、文字通りに肉体が破壊されたり精神が破壊されたりと、グラン・ギニョールさながらに描写される。  そして、それら残酷劇の主人公たるは孤児院で育った少女たちなのだ。壊され、犯され、滅されてゆくのは年端もいかぬ少女たち。ここに作者の強大な恣意性を感じる。恣意

    Imamu
    Imamu 2009/10/26
    「過剰では決してないが、計算され尽くした暗黒」『かつてケッチャムは「傍観者は無罪か有罪か?」という問いを『隣の家の少女』を通して我々に投げかけてきた』
  • 1