ぼくは単純に、 太郎があの「岡本太郎」になった理由は 根っこに悲しみがあるからだと思います。 ものすごく残響の強い「無理解」に向かって、 自分は何を言うべきかを いつも発見していたのではないでしょうか。 つまり、理解の中にいない岡本太郎を ぼくは感じます。 ケンカに勝って次に行く。 あれだけ悲しいところに行った人じゃないと、 ぼくは、岡本太郎にはなれないと思います。 ああ、そうかもしれないなぁ。 太郎は死ぬまで理解されなかったと言って いいでしょうからね。 でもそれを選んだのは太郎自身です。 だって、パリに戻らなかったわけですからね。 戻れば順風満帆だったはずなのに。 太郎は19歳で渡仏し、22歳の若さで 抽象芸術運動の ど真ん中に迎えられるわけです。 そのときのメンバーの顔ぶれを見ると‥‥ そう。 しかも同時にシュルレアリスムの連中とも つきあっている。 いわば、世界選抜チームを 渡り歩
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