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ブックマーク / www.1101.com (9)

  • 5 ふわっと「アメリカが嫌い」な気持ち。 | この戦争は、私たちの日常とつながっていて。小泉悠×糸井重里 | 小泉悠 | ほぼ日刊イトイ新聞

    メディアに多数出演、 Twitterでの独自のキャラクターにファンも多い ロシア軍事研究家の小泉悠さんに、糸井重里が ウクライナ戦争の話をうかがいました。 なかなか語るのが難しい話題ですが、 軍事オタク出身で、ちょっとしたユーモアや キャッチーな話題などもはさみつつ、 やわらかく語ってくださる小泉さんのお話は、 身構えず、落ち着いて聞くことができます。 日で暮らす私たちはこの戦争について、 どんな軸を持てばいいのだろう? 「知っておいたほうがいい部分」や 「考えておくべき部分」は、どこだろう? 戦争や軍事との向き合い方を考えるための なにかヒントになれば、と思います。 *2023年5月「生活のたのしみ展」でおこなわれた 「ほぼ日の學校 特別授業」を記事にしたものです。 >小泉悠さんプロフィール 1982年千葉県生まれ。 民間企業、外務省専門分析員などを経て、 2009年、未来工学研究所に

    5 ふわっと「アメリカが嫌い」な気持ち。 | この戦争は、私たちの日常とつながっていて。小泉悠×糸井重里 | 小泉悠 | ほぼ日刊イトイ新聞
  • 福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    震災から5年が経とうとするある日、 1通のメールが届きました。 ちいさな縁はつながって、 福島第一原子力発電所のなかを 視察できることになりました。 約3時間の視察。 そこで、見たこと、感じたこと。 すこし長いレポートになりました。 担当は、ほぼ日の永田です。 福島第一原子力発電所がどういう存在であるかは 見る人の立場や考え方によって、 さまざまに変わってくるのだと思う。 事故のあった原子炉として語られることもあるし、 ある思想の象徴としてとらえる人もいる。 そこに好きとか嫌いとかの感情や、 是か非かみたいな主張が交ざると、 さらに複雑な見え方をすることになる。 福島第一原子力発電所は、いわば多面的な存在で、 だからこそ、それについてなにか書くときは、 なんとなく前置きや注釈を添えなければならず、 そこが、すこし、ややこしい。 昨年の11月、糸井重里と、 原子物理学者の早野龍五さんとともに

    福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞
  • 岩田聡さんのコンテンツ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    創刊当時より、ほぼ日刊イトイ新聞にいろんなかたちで関わってくださった岩田聡さんが、7月11日、永眠されました。岩田さんがご登場くださったたくさんのコンテンツを、いま、読みたい方も多いかと思いますので、代表的なものをまとめました。ご冥福をおいのりいたします。

    岩田聡さんのコンテンツ。 - ほぼ日刊イトイ新聞
    InoHiro
    InoHiro 2015/07/13
  • ほぼ日刊イトイ新聞 -梅田望夫x岩田聡x糸井重里 1 主体的に時間を使わない限り、人生はすぐに終わってしまう。

    そうですね。 糸井さんと梅田さんが 会ったことがないというので、 一度会っておいたほうがいいんじゃないですかと。 まぁ、それだけのことなんですよね。

    ほぼ日刊イトイ新聞 -梅田望夫x岩田聡x糸井重里 1 主体的に時間を使わない限り、人生はすぐに終わってしまう。
    InoHiro
    InoHiro 2015/07/13
  • NHK_PRさんが ユルくなかった4日間 - ほぼ日刊イトイ新聞

    ありがとうございます。 このは、あとがきにも書きましたが 御社の乗組員である 西(武司)さんという人が 「PRさん、うちでなにか書きませんか?」と 声をかけてくださって 「私に、できるのかな‥‥」と不安に思いながら 書きはじめたものです。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 岡本太郎は、忘れてけっこう。

    ぼくは単純に、 太郎があの「岡太郎」になった理由は 根っこに悲しみがあるからだと思います。 ものすごく残響の強い「無理解」に向かって、 自分は何を言うべきかを いつも発見していたのではないでしょうか。 つまり、理解の中にいない岡太郎を ぼくは感じます。 ケンカに勝って次に行く。 あれだけ悲しいところに行った人じゃないと、 ぼくは、岡太郎にはなれないと思います。 ああ、そうかもしれないなぁ。 太郎は死ぬまで理解されなかったと言って いいでしょうからね。 でもそれを選んだのは太郎自身です。 だって、パリに戻らなかったわけですからね。 戻れば順風満帆だったはずなのに。 太郎は19歳で渡仏し、22歳の若さで 抽象芸術運動の ど真ん中に迎えられるわけです。 そのときのメンバーの顔ぶれを見ると‥‥ そう。 しかも同時にシュルレアリスムの連中とも つきあっている。 いわば、世界選抜チームを 渡り歩

    ほぼ日刊イトイ新聞 - 岡本太郎は、忘れてけっこう。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - なんだ、これは!

    「太陽の塔」の内部が一般公開された3月6日に、 「なんだ、これは!」制作チームも、 大阪の万博公園まで、行ってきました! 「太陽の塔」は、こんなふうにたたずんでいます。 こりゃあ「怪獣」にみえるのもムリはありませんね。 身長70m、からだの太さ20m、 左右に広げた腕の長さ25mの、巨体です。 「太陽の塔」は、いまから34年前に開かれた 万国博覧会のテーマ館の一部として建てられました。 当時は、こんなふうに、 「お祭り広場」の屋根から顔を突き出していたんですよ。 屋根より高い塔にしてやろう!というTAROの壮大な計画。 よくこんな考えが通りましたよね。 設計時、TAROもこうやって顔を出してみたりしていました。 レプリカやミニチュアは、わたしたちも 川崎市岡太郎美術館や岡太郎記念館で みたことはありましたが、 実物のもつ力強さは、まったくの別格! 「すごいなあTARO、すごいなあTAR

    InoHiro
    InoHiro 2011/02/21
  • ぼくは見ておこう 松原耕二の、ライフ・ライブラリー- ほぼ日刊イトイ新聞

    TBSの『ニュースの森』のメインキャスター、 編集長、ニューヨーク支局長、 「NEWS23 X(クロス)」の メインキャスターを経て、 現在、BS−TBS『報道1930』の キャスター編集長をつとめている松原耕二さん。 いつもの仕事とはまた別に、 コラムニストとしての目で、いろんな人を観察したり、 いろんな人生に共振してきたようです。 誰も見ていなくても「ぼくは見ておこう」と、 松原さんが、心の奥の図書館に一冊ずつ集めてきた さまざまな「人々の生き方」を、 「ほぼ日」に分けてもらうことにしました。 松原耕二さんのtwitter 2001年から2006年までのタイトルは こちらからお読みいただけます。 令和は世代間闘争の時代になるのか、 というテーマで、 首都圏の大学生16人に グループインタビューをしたのだけれど、 その中で、今の若者像が垣間見える声もあった。 たとえば、就職した会社に一生

    ぼくは見ておこう 松原耕二の、ライフ・ライブラリー- ほぼ日刊イトイ新聞
  • Lesson446 さらわれる力 ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson446 さらわれる力 ダメな大学生は、どこがダメなのだろうか? 誤解がないように言っておきたいが、 私は、いまの大学生がダメだと言う気なんか さらさらない。 優秀だと思っている。 こちらがへこむくらい、 同じ組織にはいったならリーダーとしてあおぎたいくらい、 すごい大学生にも、数々、会ってきた。 ただ、フリーランスという立場で、 さまざまな大学に呼ばれ、 あまりにさまざまな大学生に触れるものだから、 とにかく、すごくちがうな、と。 大学によってもちがうし、 同じ大学でも学生によって、ひとりひとりちがうから。 なにがちがうんだろう? と。 高校なら暗記学力の得点で、 社会人なら売り上げなどの実績で、 よくもわるくも、ある程度、説明がつく。 でも、大学生で、ダメっていうのは、 なにがダメなんだろう? 頭の中をよぎるのが、大学の先生たちのこんな言葉だ。 「具体例にしか反応できない人」

    InoHiro
    InoHiro 2009/11/03
    Lesson446 さらわれる力
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