当たり前のことだが、この世界に自分と同じ人間はいない。 たとえ「遺伝子がまったく同じ」という一卵性双生児であっても、100%同じ経験はしない。遺伝子は同じでも、その生育歴が双子をまったく別の人格に育て上げる。 生活上の好みや些細な癖から、政治信条・信仰する宗教まで、どんな少数派であろうと「考え方が近い」人というものは、もちろんそれなりにいる。特にインターネットがその傾向を加速させたというが、同じものを愛好する人は、どんなマイナーな分野であろうと存在し、そのものの愛好者として居場所を見つけることは、難しくなくなってきている*1。 だが「自分と(まったく)同じ人間」は、やはりいない。 Webでの沈黙は「非存在」と同義で――単に新聞やテレビの代替など情報入手手段として利用するならともかく――ソーシャルメディアにおけるROMに「存在感」というものは決してない。必然的に、なにかしらを表現することで、