昨年10月、一部区間で最高速度が110km/hに引き上げられた新東名高速道路。新東名の計画概要が決まったのは、1987年の四全総(第四次全国総合開発計画)においてであり、建設が始まったのは1993年。しかし当時、「第二東名」と呼ばれたその存在は、世間的にはほとんど知られていなかった。 「第二東名」がマスコミにクローズアップされたのは、2001年から始まった道路公団民営化議論の過程においてだった。それは、「戦艦大和並みのムダ使い」という、国家的負の存在として、である。 確かに当時の日本道路公団には、コストダウンの概念がなく、後に明らかになったように官製談合も横行しており、建設による借金はふくらみ続け、このままでは第二の国鉄になると言われていた。つまり、悪しき赤字高速の象徴として、最大の大物である第二東名が血祭りにあげられたかっこうだった。 その頃私は、前年に『首都高はなぜ渋滞するのか!?』(