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沖縄・琉球と人生に関するJcmのブックマーク (6)

  • 安室ちゃんだけ真っ白の卒業文集 中学の担任が唯一伝えたこと | 沖縄タイムス+プラス

    沖縄県中城村に住む元中学校教諭の仲座包子(かねこ)さん(78)が、教員生活の最後に担任を務めたクラスの卒業文集をめくると「安室奈美恵」と書かれたページだけ「思い出」の欄が真っ白だ。3年生になると芸能活動でほとんど学校に来られなかった少女は、進路を心配する仲座さんに言い切ったという。「高校には行きません。歌とダンスで生きていくから」。その迷いのない視線を仲座さんは忘れられない。(社会部・新垣綾子) 大きな目に細長い手足。安室奈美恵さん(40)の第一印象は「子鹿のバンビ」だった。この年の秋にグループでメジャーデビューすることになる安室さんは既に、金曜日に上京して土日にテレビやCMの収録をこなす日々。仲座さんには「火曜日から金曜日の朝までは学校に行く」と宣言したが、その約束も始業式から1カ月もすると果たせなくなっていた。 「人気が出ることはうれしいけれど、東京で誰かにだまされていないか、厳しい芸

    安室ちゃんだけ真っ白の卒業文集 中学の担任が唯一伝えたこと | 沖縄タイムス+プラス
  • 第82回:いよいよ公開!「沖縄スパイ戦史」~沖縄各地で先行上映会~(三上智恵)

    このところ、マガジン9でのコラム更新がかつてなく遅くなっていた。去年5月、沖縄戦のドキュメンタリーに取り組み始めてこの方、辺野古や高江の撮影に走り回っている以上に自分を追い込んでしまった。そうでもしないと、沖縄戦の闇に迫るという自分の能力を超えた仕事に、逆に呑み込まれ廃人になりそうで怖かった。一人で暗い海原を低く低く飛んで、やがて東の空から明るくなってくると信じて滑空するも、永遠に夜が明けてこない。もう一度顔を上げたときに光が見えなかったら、もう飛べないかも知れない。そんな悲壮な日々だった。 え? 一人で飛んでたんじゃないでしょ。今回は若くて元気な後輩の大矢英代さんと共同監督でしょ?……ええ、まあ。しかし、彼女は遥か南端の波照間島上空を飛んだり、アメリカを飛んだりしていたので、担当地域がそれぞれ別だったから暗い海原からは見えませんでした。それに彼女は、たとえればオウムかセキセイインコ(物ま

    第82回:いよいよ公開!「沖縄スパイ戦史」~沖縄各地で先行上映会~(三上智恵)
  • 沖縄と沖縄人の利益のために闘った政治家・翁長雄志氏 その生きざまを写真で振り返る - 琉球新報

    膵臓がんの手術を受け、治療を続けていた沖縄県の翁長雄志知事が8日午後、入院先の病院で死去した。辺野古新基地建設の阻止を最大の公約に掲げ、歴代の知事の中でも高い県民支持率を背景に、米軍普天間飛行場の辺野古移設を推し進める国と鋭く対立してきた。政治家としての翁長氏を写真で振り返る。 沖縄戦から5年後の1950年、那覇市に生まれた。父助静(じょせい)さんは旧真和志市長を務め、兄助裕(すけひろ)さんは西銘順治知事時代に副知事を務めるなど政治家一家に育ち、復帰前から保革の激しい対立を見て育った。 政治を志したのは小学6年の時だ。父・助静氏が立法院議員選で敗れ、母の和子さんに「お前だけは政治家になるなよ」と抱き締められた日。後に「父の背中を見て決意した幼きあのころの夢を追い求め、政治の門をくぐった」と振り返っている。 そんな翁長氏の政治家としての歩みは那覇市議選に初当選した1985年に始まる。 那覇市

    沖縄と沖縄人の利益のために闘った政治家・翁長雄志氏 その生きざまを写真で振り返る - 琉球新報
  • 翁長沖縄知事が死去 67歳 辺野古新基地反対を貫く | 沖縄タイムス+プラス

    沖縄県知事の翁長雄志氏が8日午後7時までに、膵臓(すいぞう)がんのため入院中の浦添総合病院で死去したことが分かった。67歳だった。米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設への反対を訴え、2014年の県知事選で初当選。新基地建設反対を最後まで貫いた。

    翁長沖縄知事が死去 67歳 辺野古新基地反対を貫く | 沖縄タイムス+プラス
    Jcm
    Jcm 2018/08/09
    えっ… ショックだわ… こないだの記者会見でしっかりコメントされてたのに。/この報せに際して他の記事で膵臓がん発表以前の写真も改めて何枚か見たんだけど、本当に変化が速いね。でも67歳はあまりに早過ぎた…
  • 50年前から日傘を使っている〝元祖〟「日傘男子」が沖縄に! 〝元祖〟は今のブームをどう思っている? - 琉球新報デジタル

    約50年前から日傘を使っている〝元祖〟「日傘男子」の渡口彦邦さん=那覇市久茂地 全国的に猛烈な暑さが続く中、暑さ対策として日傘を使う「日傘男子」が増えている。沖縄には約50年前から日傘を差している〝元祖〟「日傘男子」がいるのをご存じだろうか。 那覇市で万年筆店を営む渡口彦邦(とぐち・ひこくに)さん(79)。「沖縄日傘愛好会」の会長で、「男性も日傘を」と呼び掛けてきた人でもある。やっと訪れた「日傘男子」ブームに「遅いくらいだよ。日傘は平和のシンボル。みんな日傘を持ちましょう」と呼び掛ける。 夏の沖縄は日差しは強いが、気温は35度を超えることはそれほど多くない。「日傘を差せば日陰にいるのと同じ。快適」とその良さを挙げる。さらに「傘を差すと、顔を上げて前を向かないといけない。日傘は視界良好」と太鼓判を押す。 渡口さんが傘に注目したのは沖縄がまだ米国統治下にあった約50年前。今は免税品店や大型ショ

    50年前から日傘を使っている〝元祖〟「日傘男子」が沖縄に! 〝元祖〟は今のブームをどう思っている? - 琉球新報デジタル
    Jcm
    Jcm 2018/07/27
    素敵すぎる。/“「私にとって傘がある生活は平和な世界。戦争の時に傘なんて差せない」「争いごとや人と比べることは大嫌いなんだよ」”
  • 「70年間ほったらかし、ごめん」記録から漏れた幼い命:朝日新聞デジタル

    戦後73年の慰霊の日。沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園や各地の慰霊碑で、早朝から多くの人が静かに手を合わせた。戦没者の名が刻まれた「平和の礎(いしじ)」に、今年新たに追加刻銘されたのは58人。そこには、激しい地上戦と戦後の混乱で記録から漏れた幼い命もあった。 読谷村の国吉園(その)さん(83)は、今年新たに刻銘された妹・新垣京子さんの名の前に座り、お菓子を供えた。「70年間もほったらかしにしてごめんなさい」。肩を揺らして涙を流した。 沖縄戦当時10歳だった園さんは米軍が上陸する前、母ナルさんと、生後1年ほどだった京子さんと3人で、沖縄島中部の読谷村から北部の国頭村(くにがみそん)辺土名(へんとな)に疎開した。馬車で2日かかったことを覚えている。 集落から数キロ離れた山中の小屋で過ごした。母は料を求めて集落と行き来し、京子さんの面倒を見るのは姉の園さんの役割で、いつもおぶってい

    「70年間ほったらかし、ごめん」記録から漏れた幼い命:朝日新聞デジタル
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