モンゴル帝国が日本を襲ったのが「元寇」。 そして、ロシアが襲ってきたのが「露寇」。 日露戦争(1904)に先立つこと100年前、北海道の各地がロシアに襲撃される事件が相次ぐ。これらを称して「露寇事件(1800年代初頭)」という。 時は江戸に文化・文政年間の「化政文化」という町人文化が花開いていた頃。 ロシア特使「ニコライ・レザノフ」という人物が、日本との通商を求めて「長崎」を訪れる(1804)。 レザノフはロシアの外交官であると同時に、米露会社(ロシア領アメリカ毛皮会社)の経営者でもあった。 米露会社はロシア皇帝の勅許をえた国策会社(利益の3分の1は皇帝のもの)であり、アメリカのアラスカを植民地として交易を行なっていた(毛皮など)。 この米露会社の泣き所は「食糧」。北方における食糧確保は困難を極めていたため、レザノフは日本との通商により食糧調達を試みようとしたのである。 長崎に現れたレザノ