達谷窟 旅行記「毘沙門堂」 達谷窟は正式な名称は達谷窟毘沙門堂といい、坂上田村磨公が801年に蝦夷を征伐し勝利を収めた際に仏のご加護のおかげと感じ、京の清水の舞台を模して九間四面の精舎を建て、百八体の毘沙門天を祀ったのがはじまりとされています。 その後源氏、奥州藤原氏、伊達氏といった時の権力者達が寺領の寄進、伽藍の建立・再建を行い保護されてきました。毘沙門堂は度重なる火事で何回か再建されていますが、現在の毘沙門堂は昭和36年に再建されたもので、創建以来5代目となります。また現在まで残っている毘沙門天は27体を数えます。 毘沙門堂 切り立った崖の窟に造られた達谷窟。京都の清水寺を模して坂上田村麿公が創建したとされている。この為「小清水寺」と呼ばれる事もある。なお境内は神仏が共に祀っている神仏混淆の社寺となっている。