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ブックマーク / hkuma.com (4)

  • Higashi-Tachikawa

    その昔、南武線は立川と西国立の間に、東立川という駅があったそうですね。開設が 1929年という事で、南武線といってもまだ南武鉄道の時代ですが、立川まで全通した時に出来た駅の様です。 場所は、南武線が中央線から分かれてカーブをしかかったあたり、日自動車学校へ行く踏切のすぐ先のあたりです。何故こんな場所に駅が出来たかというと、どうもこの自動車学校の敷地に(軍需関係の?)工場があったためらしいのです。 その後この駅は 15年ほど営業を行いますが、戦時中の 1944年に廃止されます。理由はおそらく、戦局が逼迫した事による統廃合でしょう。 ちなみに資料によると、所在地は当時の住所で 北多摩郡立川町字下古新田、川崎からのキロ程で 34.8 であったとの事です。(立川は 35.5) では、現在このあたりはどんな風になっているのでしょうか。立川駅から延々歩いて立川通りを渡り、クレストホテルの先から斜め左

  • YumeTetsu 夢に終った鉄道たち

    この地域には、計画されながら夢に終ってしまった鉄道も数多く存在する。もしもこれらの鉄道が開通していたら、また現在と異なった交通地図を形成していた事だろう。 ■南津鉄道(一ノ宮~鑓水~城山北) ■武州鉄道(吉祥寺~秩父) ■京王帝都電鉄 国立線(府中~国立) 小金井線(多磨~武蔵小金井~小金井桜堤) 田無線(吉祥寺~田無~東久留米) 立川線(富士見ケ丘~三鷹~国分寺~西国立) ■西武鉄道(武蔵境~武蔵関) ■武蔵中央電鉄(東八王子~大宮) ■その他 ■南津鉄道 府中から八王子へと玉南(京王)電鉄が開通すると、その南側の鑓水近辺でもにわかに鉄道敷設の計画が持ち上がった。発起人は主に近在の絹商人で、玉南電鉄に接する一ノ宮(現聖蹟桜ケ丘付近)から、ほぼ野猿街道に沿って鑓水、相原を通り城山北へ至るという路線だった。一部工事まで開始されたものの、生糸市場の大暴落により、ついに計画は実現を見ないままに終

  • 都心の踏切を見に行こう

  • 京葉臨海鉄道

    全国各地に存在する臨海鉄道。 その中でも営業キロ23.8kmを誇り、千葉県のコンビナート地帯を縦貫する京葉臨海鉄道は国内屈指の規模を誇る。 何しろこの距離と言えば、新宿から中央線に乗ると国立あたりまで行ってしまう長さ。 ここを、タンク車やコンテナを連ねた長編成の貨物列車が、途中で入れ替えを行いながらゆっくりと所要一時間をかけて進んで行く。 これはなかなかに魅了される光景ではないか。 そんな京葉臨海鉄道の世界を、ここではドップリと堪能してみよう。

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