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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (2)

  • なぜ「空気が読めないことが最も嫌われる」のか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「空気を読む」という闘争 ボクは「コンテクスト(まなざし、文脈)」についていくつか語ってきたが、SocioLogic(lovelesszero5.0)*1に面白い内容が書かれている。 空気の読める社会(1) 以前、子どもたちの間では「空気が読めないこと」が最も嫌われる、という話があったが、これは、大人の間でも共通しているようである。価値観が多様化した、とされる社会では、「素直に」考えれば、ハイコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が多い)コミュニケーション空間からローコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が少ない)コミュニケーション空間へと変化するということであり、「コミュニケーション」の来の意味である、(特に異なる価値観の人の間での)意思疎通のためにはより明確に言語化した対話が重要になると考えるのが一見自然である。・・・しかしその一方で、冒頭の「空気を読む」というの

    なぜ「空気が読めないことが最も嫌われる」のか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜネットコミュニケーションは必ず失敗するのか?(全体)  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    『コミュニケーションは「まなざし」によって成立する ボクはネットコミュニケーションが大好きで、その可能性に期待しているが、信用はしていない。これはネットコミュニケーションを始めて、数年たち、いろいろ体験したボクの率直な感想である。 言語行為論に「コンスタティブ/パフォーマティブ」という考え方がある。たとえば母親が子供に「もう、好きにしなさい!」としかるとき、コンスタティブな意味、すなわち文章そのままの意味は「好きなようにしていい」であり、パフォーマティブな意味、その文章によって指示される意味は、「かってなことはするな」である。このようなパフォーマティブな意味=「真意」の読みとりは、それが言ったのは母親である、怒っている、などなどの、メタレベルでその場の状況(コンテクスト)が理解されて始めて、理解できるものである。 コミュニケーションは、質的には「コンスタティブな情報を伝えあうこと」と理解

    なぜネットコミュニケーションは必ず失敗するのか?(全体)  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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