意外と富山県民にもそんなに知られていないのかもしれません。 高岡をはじめ県西部は加賀藩という認識は比較的広くあるかもしれませんが、 魚津も黒部もかつては加賀藩領でした。 -え?じゃ富山藩て? 地図を見ればすぐわかるので添付します。 (他に良いのが見つからないので、富山市郷土博物館のサイト「博物館だより」から拝借します。以下の地図等はすべて同サイトからの借用です) こんな感じの領域です。 (富山市郷土博物館「博物館だより」第二十三号より) 現在の富山県(=越中国)の真ん中だけです。 ざっくり富山藩成立史 前田利家・利長父子は2代をかけて能登、加賀、越中の三国を掌握します。 利長は関ヶ原の戦いの後に加賀全土を加増され、約120万石の最大の外様大名となります。(当時の国別石高は、能登約21万石、加賀約44万石、越中約53万石だったと上記リンク先サイトにあります) 次の利常の代にはこのうち、越中富