現在の上京区、中京区、下京区にあたる京都市の中心部は、かつて「洛中」と呼ばれました。その周辺部は「洛外」で、洛外はさらに「洛北」「洛南」「洛東」「洛西」に区分されています。 「洛」の由来は、古代中国で何度も都となった「洛陽」から。平安京はこの洛陽と、やはり中国で都が置かれた長安を参考につくられ、当初は御所から見て右側の地域を「長安城」、左側を「洛陽城」と呼んでいました。 やがて地盤の悪さなどから長安城は寂れ、平安時代中期ごろから京都市中を「洛陽」と呼ぶようになり、洛中や洛北などの区分ができたのは鎌倉時代以降とされます。 ただ、城壁を持たない平安京は完成当初から境界があいまいで、唯一左右に壁を持った南端の「羅城門(らじょうもん)」も平安時代後期に倒壊。そのため洛中・洛外の境界線は明確でなく、現代の区割りと同じではありませんでした。
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