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ブックマーク / www.mapple.net (2)

  • 「洛中」「洛外」とは?京都市内中心部と外を区分するために築かれた「おどい」 - まっぷるトラベルガイド

    現在の上京区、中京区、下京区にあたる京都市の中心部は、かつて「洛中」と呼ばれました。その周辺部は「洛外」で、洛外はさらに「洛北」「洛南」「洛東」「洛西」に区分されています。 「洛」の由来は、古代中国で何度も都となった「洛陽」から。平安京はこの洛陽と、やはり中国で都が置かれた長安を参考につくられ、当初は御所から見て右側の地域を「長安城」、左側を「洛陽城」と呼んでいました。 やがて地盤の悪さなどから長安城は寂れ、平安時代中期ごろから京都市中を「洛陽」と呼ぶようになり、洛中や洛北などの区分ができたのは鎌倉時代以降とされます。 ただ、城壁を持たない平安京は完成当初から境界があいまいで、唯一左右に壁を持った南端の「羅城門(らじょうもん)」も平安時代後期に倒壊。そのため洛中・洛外の境界線は明確でなく、現代の区割りと同じではありませんでした。

    「洛中」「洛外」とは?京都市内中心部と外を区分するために築かれた「おどい」 - まっぷるトラベルガイド
  • 崩落の激しさに『日本のトンネル技術』が敗退!?(青崩峠) - まっぷるトラベルガイド

    崩落の激しさに『日のトンネル技術』が敗退!?(青崩峠) 「あまりの崩落の激しさに日のトンネル技術が敗退」とツーリングマップルに記載された青崩峠(あおくずれとうげ)。 日のトンネル技術が通用しない青崩峠とはいったいどんなところなのでしょうか、皆さんも興味が湧いて来ませんか? 実は今、その青崩峠で三遠南信自動車道「青崩峠トンネル(仮称)」の工事が進んでいます。 ここで、すでにお気づきの通りトンネル掘削の技術が敗退して青崩峠を通るルートから撤退したはず!なのに青崩峠にトンネルとは? またツーリングマップルに記載されたコメントはどうなっているのでしょうか。

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