府遷都・天下を睨む 慶長10年(1605)家康は将軍職を息子秀忠に譲った。この時、家康64歳である。将軍職を息子に譲った目的は、自ら大御所として天下取りを確かなものとするためである。 大御所となった家康は、依然として幕府権力を握ったまま全国をコントロールし、二代将軍秀忠が家康に代わって江戸で隠居していたという言い方もある意味では当てはまる。二代将軍秀忠は将軍といえども、駿府の大御所家康が決めたことを江戸城において「将軍秀忠名」で決裁していたことになる。そのため多くの権力は、駿府の徳川家康がハンドルを握っていた。そんな大御所家康について、スペイン人のアビラ・ヒロンは彼の「日本王国記」にこう記している。 「日本の領主たちは、彼らがすでに年老いたり、自分の子供たちが成人になったりした時、隠居する習慣がある。これは領主の地位をやめ、剃髪して統治を相続者に委ねることである。しかし今のこの国の国王(家