http://www.h5.dion.ne.jp/~boot88/rn/rn01.htm 僕が考えるに、人格批判をやってはいけない理由というのは、そこにあるライバリー(rivalry)が、人格とは別の水準(たとえば法律であったり、ルールであったり)に基づいて、その善悪なり優劣なり強弱なりを判断できるという前提があるからじゃないだろうか。それとは違って、(前にもどっかで書いた気がするが)その人の倫理や信条そのものを問題にする場合、そこでは人格に触れざるを得ないのではないか。たとえば、東浩紀さんは思想家であって、大塚英志さんはその倫理を問うたのだから、東氏の「メンタル」や「人間性」を問題として提出せざるを得ない。「大塚さんはぼくの人格を批判しているので、それはやめたほうがよろしいんじゃないかと……」とエクスキューズして逃げるのは、滑稽というか、がっかりさせられる話だと思った*1。さて、id:h