最近就職が決まった。数年間引きこもってた。 祖母は俺に期待してる。祖母は義父と不仲なので俺の就労が安定したら俺と一緒に家を出ようと考えてるらしい。 俺にとっても悪い話じゃない。俺だって義父が嫌いだし、祖母の貯金と年金があれば生活はかなり楽になる。 だが俺はもう死にたい。死にたさしかない。もう疲れてしまった。精神的にはとうにくたばってる。 今は祖母への義務感だけで生きてる。
「彼らには世界の複雑さへの恐れがない。彼らは「とにかく面白ければいい」ならぬ「とにかく正しければいい」という病にかかっている。このように指摘するのはポリコレ疲れでも冷笑でもありません。リアリズムです。」
充実したゲンロンさまのコンテンツ、いつもお世話になっております。さてそこで質問なのですが、今世界では新反動主義や暗黒啓蒙と呼ばれるものが跋扈し、規範的な議論そのものに対してシニカルな目で見る論調が幅を利かせ、とにかく面白ければいいと、情動的なものが重視されているように見受けられます。リベラル疲れやポリコレ疲れ、込み入った議論は面倒という風潮に何か打開策はありますか? というのが質問になります。 以前、ゲンロン友の声で東さんは(以下、引用)「ひとの意識を変えるためには、その言葉を包みこむ長大な「文脈」がセットに提示されないといけない」とおっしゃっていました。愛や心や正義や真理や欲望や知といった概念について考えることや議論すること自体、「カッコつけてるだけ」、「ただの綺麗事」と見なされる文脈の方はどうすれば変えられるのでしょうか?(大阪府・20代・男性・非会員) 質問がなかなか複雑だったのです
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