「死んだら人はどうなるのか」について小学生と哲学対話した話。 前回「人は何のために生きているのか」について哲学した記事を書いた。 nagairei.hateblo.jp 実はこの日、別のクラスでは「死んだら人はどうなるのか」について哲学対話をしたのだった。事前に「考えたい問いを書いて下さい」というアンケートをとったところ、死についての問いが一番多かったとのこと。小学校ではよく出る結果なんだというのを後で聞いたのだが、問いを聞いたときちょっとドキリとした。 第三人称の無名性と第一人称の悲劇の主体性との間に、第二人称という、中間的でいわば特権的な場合がある。遠くて関心をそそらぬ他者の死と、そのままわれわれの存在である自分自身との間に、近親の死という親近さが存在する*1。 「死」を哲学した人で有名なのがジャンケレヴィッチ。名前が長いのでジャンケレって略して呼んでいるのだが馴れ馴れしいですね。ちな
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