タグ

ブックマーク / tokyo-izumozakikai.jpn.org (1)

  • 出雲崎編年史②

    「関甲子楼出雲崎」 柏崎日報 出雲崎の名称は、神社や寺院の由来縁起等に、出雲の国が分裂して此処へ付着せしとか、出雲の材木が漂着せしとか、いろいろに書いてあれど、此れらは附会の説にて取るに足らず。出雲崎の惣社石井神社の真体は出雲の大神、大国主之命を祭祀す。故に出雲崎と云う。この説やや首肯するに足る。この地は延喜式駅伝に大家とある土地なりとの説あれど確定致し難し。とにかく出雲崎の三字は、延喜後中世の命名ならん。如何となれば、延喜民部式に「凡諸国部内郡里等名併用二字必取嘉字」とあり、其の頃までは朝令厳に行われて国守任務を尽くせり。其の後王朝衰え武家跋扈の時代となり、地名官名等いろいろ私称するに至れり。出雲崎の名の古文書に見えたるは後冷泉天皇の康平三年に出来たる越後図に柏崎、比角、荒浜、椎谷、出雲崎、寺尾泊、のつみ、とあり云々。(以下略) 「出雲崎夜話」耐雪翁旧著 出雲崎開発の由来からお話した方が

  • 1