ニュータウンの現在 「ニュータウン世代の新言語」というテーマで原稿の依頼をいただいたのだが、おそらく僕(1981年生まれ)の同世代では、ニュータウンと言っても具体的なイメージを持てないという人も多いだろう。簡単に個人史を語っておくと、僕は、幼稚園から小学校卒業にかけての約10年間を京都のあるニュータウンで過ごした。とはいえ、1980年代半ばから1990年代前半にかけてのその時期においては、ニュータウンにはすでにシンボリックな意味合い──先端的なアメリカン・ウェイ・オブ・ライフの象徴というような──は乏しく、ただ、収入や親世代の年齢の近いひとたちが集まるばかりの均質的な空間になっていたように思う。その均質さは、僕を含めたクラスの子どもたちの間にどこか神経症的な空気を生み出していて、一種独特の思い出もあるのだが、今それについて詳しく書くのは止めておこう。 現在のニュータウンということで言えば、