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生に関するKYOSYOのブックマーク (8)

  • マツコ・デラックスがすさまじい。反省として名言をまとめました。|イケハヤ大学【ブログ版】

    うはー、マツコ・デラックスってこんなに強烈な人だったんですね。ただの芸人だと思ってました。すみません。反省として名言をまとめました。 魂の咆哮 元々マツコ・デラックスはゲイ雑誌の編集部に所属し、エッセイスト、コラムニストとしても活躍していたそうで。完全に芸人だと思い込んでましたが、そのルーツはもの書きだったんですね。 中村うさぎ氏との往復書簡のなかでは、そんなもの書きとしてのマツコ・デラックスのどす黒い深淵をのぞき込むことができます。中村氏の発言も実に強烈なんですが、それはぜひ書中でお楽しみください。 ・逃げるように帰った実家から母親に追い出され、ボロアパート暮らしのくせして、借金してまで女装している頃よ。上の階から女の喘ぎ声が聞こえてきた時、心の叫びというかなんと言うか、無意識の内、口に出してこう叫んでいたわ。「チンポもいらない、ゲイとしての幸せなんていらないから、だから神様、アタシにた

    マツコ・デラックスがすさまじい。反省として名言をまとめました。|イケハヤ大学【ブログ版】
  • 家中から見つかる娘のメモ、2年前に亡くなった少女が隠した家族への想い。

    子どもを持つ親なら、自分の子どもは「思っていた以上に深い考えを持っている」と感じる瞬間が少なからずあるかもしれない。「子どもは何も知らない」と思い込むのは親の勝手で、逆に親が子どもの一面を知らないということも多いようだ。実はしっかりと大人の行動を見ている子どもたち。愛情豊かに育てれば、きっと同じだけの愛情が返ってくるに違いない。2年前、脳のガンで6歳の少女を亡くした米国人夫婦がいる。「あまりに短い命」と悲しみに暮れる夫婦だったが、少女の死後、家の中で家族に宛てた彼女のメモを見つけた。それは1通だけでなく数百通にも及び、今なお思わぬところから見つかることもあるという。 エレナ・デッセリッチちゃんに深刻な病気が発見されたのは、6歳の誕生日を間近に控えた2006年11月末のこと。言葉がうまく話せなくなり、まっすぐに歩けなくなったエレナちゃんを医者に見せたところ、びまん性グリオーマという悪性の脳腫

    家中から見つかる娘のメモ、2年前に亡くなった少女が隠した家族への想い。
  • Amazon.co.jp: 今日は死ぬのにもってこいの日: ナンシー・ウッド (著), 金関寿夫 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: 今日は死ぬのにもってこいの日: ナンシー・ウッド (著), 金関寿夫 (翻訳): 本
  • 延命するか?と祖父に訊いた。 - Everything you've ever Dreamed

    三つ子の魂百までというが小学生のころ僕のまわりで噂されていた「死んだ人間は火葬されるときにショックで棺桶のなかで生き返るが気付かれずに焼かれてしまう」という話は、当時近所に住んでいた背の高い女の子が突然病気で亡くなってしまった事実によって補強・増幅され、考察や検証もされずに僕のなかでほとんど恐怖そのもののようになっている。自分の声が届かない、意思が届かない、暗黒の恐怖だ。今日、祖父に延命措置をとるかどうか訊いたとき、そんな恐怖に関する古いエピソードを思い出した。 祖父は年末に体調を崩して入院していたのだけれど、今日は点滴が外れ、ものがべられるほどに回復した。とはいえ心不全と肝不全を起こしている明治生まれの祖父の身体が過酷な手術に耐えられるわけもなく僕や親族はこのままゆっくりと弱っていく様子をみていくしかない。それが突きつけられている現実だ。ものがべられるようになった勢いそのままに僕を相

    延命するか?と祖父に訊いた。 - Everything you've ever Dreamed
  • 僧侶のいる風景

  • 「生きる目的は何ですか?」というインタビューを受けました

    「どうもーはじめまして」 「はじめまして」 「今日は、生きる目的というインタビューです!あなたの生きる目的はなんですか?」 「目的、ですよね」 「そうそう。何のために生きるとか、生きがいとか、これがあるから生きているとか、漠然としていてもいいです」 「そのテーマなんですけど、それを聞いたときからよく考えてみたんです」 「そんな難しく考えなくていいよ?簡単に、生きていてこれが楽しいとか そんなでもいいから」 「はい」 「では、あなたが生きる目的はなんですか?」 「恐怖です。」 「恐怖?」 「そう、恐怖です。」 「生きる目的が恐怖?」 「はい」 「どういうこと?」 「はい、私の人生を振り返ってみると、私の行動原理が全てにおいて、恐怖を根底においていました。ですから「生きる理由は?」と聞かれたら 「恐いから」としか答えようがありません。恐いから。 恐さからの退き。恐怖からの脱却。恐れからの逃げ。

    「生きる目的は何ですか?」というインタビューを受けました
    KYOSYO
    KYOSYO 2010/11/08
    コインが表裏分離出来ないように、人間も生死不可分でそれ自体が役目のようなもの。『「寿司」「鳥」「風呂」「寝ろ」』に優る答えなし。
  • 100万回生きたねこ

    ☆'.・.・:★'.・.・:☆'.・.・:★☆'.・:☆'.・.・:★☆'.・.・:★'.・.・:☆'.・.・:★☆'.・.・:★'.・.・:☆'.・.・:★ 100万年も しなない ねこが いました。 100万回も しんで 100万回も 生きたのです。 りっぱな とらねこでした。 100万人の 人が そのねこを かわいがり 100万人の人が そのねこが しんだとき なきました。 ねこは 1回も なきませんでした。 ☆'.・.・:★'.・.・:☆'.・.・:★☆'.・.・:・:★☆'.・.・:★'.・.・:☆'.・.・:★☆'.・.・:★'.・.・:☆'.・.・:★ あるとき ねこは 王さまの ねこでした。 ねこは 王さまなんか きらいでした。 王さまは せんそうが じょうずで いつも せんそうを していました。 そして ねこを りっぱな かごに いれて せんそうに 

  • 母を失って1年半。

    私は1年半前、病で母を失った。 当時の私は、「ホスピス病棟に入院する」ことはどういうことを意味しているか知らなかった。私は学生で春休みだった(とは言っても就職活動はまっただ中だったのだが)こともあり、母の病室には毎日のように通っていた。その日は大雨。いつものように車を運転し病室に行き、母に話しかけながらコンピュータをたたき、就職活動の書類を書いていた。 その日、母の様態が急変した。突然咳き込みだし、私は看護師に声を掛けた。この症状は危篤です、と告げられた。私が車で駅まで迎えに行き、徐々に親戚一同が集められる。 母はいつだって「苦しい」「しんどい」「つらい」、弱音を吐かなかった。その母に 「大丈夫? 苦しい?」 と声を掛けるとうなずき、初めて苦しいという意思表示をした。それを見た看護師は、 「少し眠らせましょう」 と言い、麻酔のような(当時よくわからなかった)点滴で一時的に眠らせる措置を執っ

    母を失って1年半。
    KYOSYO
    KYOSYO 2010/08/22
    他のブコメでホスピスケアについての興味がなかったという意見に同意。と同時に、それは私たち自身にそのまま返ってくることでもある。いざという時に選択を間違わぬためにもしっかりと違いを認識しておくべき。
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