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ONE PIECEに関するK_NATSUBAのブックマーク (2)

  • 『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)を読んで私が感じた最大の不満は、同著が90年代後半以降のサブカルチャー作品を多数採り上げ、漫画『DEATH NOTE』を新時代の「決断主義」を象徴的に描いた作品として詳しく取り扱いながら、同時期に漫画界のトップランナーであり続けた作品であり、『DEATH NOTE』と同じ『週刊少年ジャンプ』に連載されている『ONE PIECE』への言及を全くと言っていいほど含んでいないことであった。 当ブログではこれまで『DEATH NOTE』と『20世紀少年』を採り上げ、ともに正義にまつわる問題との関連で論じたことがある。両作品を比すと、前者よりも後者の方が思想的な重要性が大きく、内容もより複雑であったが、『ONE PIECE』は内容において両作品よりも遥かに明快でありながら、思想的には最も尖鋭な領域にまで踏み込んでおり、三作の中で最重要の作品と言って

    『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground
    K_NATSUBA
    K_NATSUBA 2009/10/05
    同意。補足すれば「明確な根拠に基づいて弁証する責務を負う」描写はある。ガープが麦わらの一味に攻撃を加える場面は、「無視できない不等性」を証明できなかったから「ある海賊を見逃」すのをやめたのだと読める。
  • 「実効力」という罠を、つねに代価としてこそ詩である――少年マンガ論 | 七里の鼻の小皺

    ■「実効力」という罠を、つねに代価としてこそ詩である――少年マンガ論 『ONE PIECE』を読んで泣くときの、涙を相対化することが、もちろん批評の入り口ではある(最近は、それ以前の共感の共同体を個別に代表する「職業批評家」が多すぎるようだが)。そして、言うまでもなくわれわれが問題としているのは、その入り口をとおりながらも、「相対化された涙」を再度当に泣くことだけなのだ。 たとえば『ONE PIECE』は、「打算のない正義」を語るために、しばしば歴史をもちだす。当然、そこで語られた歴史だけに立脚した「正義」は相対化されるべきものだ。主人公たちの「正義」の背後で、語る権利なく死んでいった人々の無数の歴史があり、同じだけの数の「正義」がある。しかし、問題となるのは、主人公たちの「正義」を笑うことではもはやない。少年マンガのなかの語られなかった無数の「正義」を、同時に泣くことだけが現在ありう

    K_NATSUBA
    K_NATSUBA 2008/11/16
    「言うまでもなくわれわれが問題としているのは、その入り口をとおりながらも、「相対化された涙」を再度本当に泣くことだけなのだ。」
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