差別の解消は、常識の置き換えのプロセスなんだと思っている。 反差別に対してよく見かける批判・否定のパターンがある。目くじらを立てすぎだ、息苦しい、むしろ逆差別だ、差別をかえって助長している、といった反差別に対する色々な否定のされ方も「常識の置き換えプロセス」の段階と考え合わせることですっきり理解できるんじゃないかと思っている。あるいはアファーマティブアクションやポリティカルコレクトネスといったものの位置付けもはっきりしてくる。 差別の常識と反差別の常識が置き換わっていくとき、いきなり100:0から0:100へ切り替わるのではなくその間には優劣の推移がある。 ここでは以下を整理してみたいと思う。 差別や常識の性質 各段階でどのような光景になるのか 自尊心や笑いや罵倒と差別の関係、アファーマティブアクションやポリティカルコレクトネスと段階の関係 差別の要件 ここでは差別を、「ある属性に対する不
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