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第一章 あたしはヒロ。 見てのとおり平凡な女子高生。 「ヒロー!!」 後ろから追いかけてきたあの子はヒロコ。 あたしのクラスメイトでソウルメイト。 ヒロコが死んだらあたしも死ぬ。 「ヒロー!!」 もう一人追いかけてきたあいつはヒロト。 ヒロコとヒロトとあたしでよくつるんでる。 ヒロトは誰が見てもイケメンだ。 今日もまたあたしの一日がはじまる。 第二章 いつもどおり放課後はシブヤに集合。 シブヤはいつも、すさんだあたしの心を受け止めてくれる。 「ヒロ、今日は元気ないじゃん!」 「そんなことないよ」 「そうかなー」 ヒロコが気づいてくれた。 あたしは確かに元気がなかったんだ。 寒くて体の節々が痛む。 「おう、今日はどうする?」 イケメンのヒロトがなにか言った。 その瞬間キュピーンときた。 あたし、ヒロトが好き! あたしはヒロトの手を取って走り出す。 「おう! オレも前からヒロのこと好きだった!
ブログ終了においては理由とか気になってしまいがちだけれども、世の中なんでも理由が明らかにされるわけじゃないのです。 それに更新が終わってしまっても、ばら撒かれたミームは回収不能なほどに拡散してしまっているので終了ということにいかほどの意味があるのかはわかりません。でも終わるのです。そういうもんです。 いずれにせよ、ここでリファりリファられコメりコメられスタりスタられた方々にはとても感謝しています。ありがとうございました。 そして、はてなダイアリーを作ったid:jkondoさん。いろいろ遊ばせてもらいましたありがとう。いい感じに成功してください。 あとid:みんな。もうちょっと仲良くしろ。 あとあとid:非モテ。モテろ。 あとあとあとid:長期休筆のやつら。書け。 ではね。さよなら。 2007年創作リスト(創作じゃないのも混じってるね。みなさん読んでくれてありがとう) ごはんの擬人化に意義を
『なぜ日本人は劣化したか』(香山リカ著・講談社現代新書)より。 【2006年も後半のことだったと思う。 「生き方論」などで定評のある雑誌から、原稿の依頼があった。「ストレス解消の秘訣」といったテーマで1200字という短い分量だったので引き受けることにし、締め切り日に原稿をメールした。構成は、「ストレスとは何か」という定義に続けて「ストレスが生まれる理由」を簡単に説明し、それに続けて「解消のために気をつけること」を3つほど書く、というごく常識的なもののつもりだった。 ところが、すぐに編集者から「書き直し」を依頼する返信が来た。 「いただいた原稿に問題がある、というわけではありませんが、こういった構成だと全体を最初から順に読まなければならず、途中で読者が飽きてしまう可能性があります。前半の定義や解説はすべて省き、解消法の部分だけを箇条書きにして、ちょっとした説明とともに書いてください。なお、解
● 概要 良くある「芸能人の不用意な発言が引火してキチガイが発生、炎上に至る」流れであるが、非常に味わい深いのでピックアップしてみる。 元のブログ記事はこのような内容である。 http://mycasty.jp/yoshino/html/2007-08/08-05-793011.html 内容的には、「通読できないほどイタい」というよりは、いまごろ攻殻機動隊にハマる今更感と、一般人から見た吉野紗香の旬過ぎてる感の絶妙なマッチングが肝であって、一般人にとって99%が興味を持たない攻殻機動隊と99%が興味を持たない吉野紗香の素敵すぎるベン図構造が読み取れます。結局、攻殻機動隊と吉野紗香という一般関心から遠い話題では問題を消化できず、アニヲタ対反アニヲタの戦い、やがて吉野擁護に名を借りた一方的なアニヲタ叩きへと移り変わっていくさまを堪能されたい。 問題の元となった「もし実写で映画化される事なんて
2007年08月08日07:05 カテゴリBlogosphere どんな風に書いたところで、あなたのよう書けるのはあなただけ だからblogは面白い。 一日の記事量が10件いかないとネタフルさんのようにはならないんだよ*ホームページを作る人のネタ帳 [N] ジャンルを絞って書かないとホームページを作る人のネタ帳さんのようにはならないんだよ もう何度引用したかわからないけど、blogに限らず読み応えのある文章は、以下のシンプルな条件を満たしている。 「高校生のための文章読本」pp.208 良い文章とは 自分にしか書けないことを だれが読んでもわかるように書いた文章 しかし、「何が自分にしか書けないのか」、そして「誰が読んでもわかるように書くにはどうしたらよいのか」というのは、人様の文章を読んでいるだけではわからない。うまく行っているブロガーが口をそろえて「継続は力なり」と言っているかといえば
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン この20年間、毎日、あきれるほど多くの文章を書いている。 予備校講師、検事、弁護士。何をやっても、仕事柄、大量の文書を作らなければならない。そのうえ、趣味で本を書いたり、ブログを書いたりしているから、私は絶対、執筆中毒に罹患していると思う。 書いている量からすれば、私には、かなりの「文書化力」が備わっているのは間違いない。「文章力」ではない。「文章力」は素晴らしい内容の文章を書く能力のことである。 これに対し、「文書化力」は自分の頭の中にあることを短時間に大量に文書化する能力のことをいう。質より量を重視するのが「文書化力」だが、この言葉は、今適当に思いついた言葉なので、辞書など引かないでほしい。 文書化力の効用 本来、「文章力」を身につけるの
このエントリを作成している途中で「”です・ます”調で書くか”である”調で書くか?」という非常に良質な記事を見つけた。私のエントリは、その記事と比べれば全然文章について的を射ていない。そのことについてご了承願いたい。 「auther」は「reader」より上の存在にあるという仮定高校の教科書に載っていたことなのだが、日本語で一般に「著者」と訳されている「auther」という英単語は、「権威」と訳される「authority」の派生語であるらしい。つまり、権威を持っていなければ書き手にはなりえず、同時に書き手は権威ある存在とみなされるのである。 こういう認識は、戦後の経済発展、さらにはブログや掲示板の普及を経た現代においては疑問に思う人も多いかもしれない。しかし、印刷技術が未発達だった時代においては一冊の本が非常に貴重な存在であっただけに、こういう認識が人々の中に少なからず存在していたのだろう。
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