2011年3月に起きた東日本大震災で、岩手、宮城、福島の東北3県を中心に最大47万人が避難生活を強いられた。宮城県気仙沼市に住んでいた山本マユミさん(68)もその1人。津波で自宅を流され、東京都目黒区から共同住宅への避難を提案された。喜んで夫と移り住んだが、数年後、思いも寄らない通告を受ける。住宅支援の打ち切りだ。 夫が病死し、一人になったマユミさんに目黒区は部屋の使用料相当額を請求する訴訟を起こした。額は約820万円にまで膨らんでいる。 震災から12年。日本中の自治体が被災者を住宅面でも支えたが、その後の支援策にうまくつながらず、制度のはざまにこぼれ落ちた人々がいる。その絶望感をマユミさんはこう語った。「もう一度被災したよう」(共同通信=三吉聖悟) マユミさんはもともと、東京で生活していた。2007年、東京で工事会社に勤めていた夫が退職したのを機に、マユミさんが生まれ育った気仙沼市で老後
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