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bookとauthorに関するKochelのブックマーク (5)

  • かくれ里/白洲正子 & 白洲正子と歩く京都/白洲正子ほか: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、僕のなかで熱い人は誰かと問われれば、間違いなく白洲正子さんをあげたいと思います。 白洲さんの魅力は、なんといってもモノを見出す眼力でしょうか。すでに亡くなられていますが、京都を中心に西国を歩きまわってみつけた物事を記したそのの魅力はいまだからこそ、より輝くのではないかと思います。 天才と呼ばれた青山二郎や小林秀雄にかわいがられた白洲さんののは以前に『お能・老木の花』を紹介しましたが、今日は白洲さんの代表作の1つでもある『かくれ里』と、白洲さんが綴った京都に関する文章を引用しながら京都と白洲さんの魅力をまとめた『白洲正子と歩く京都』という2冊のを紹介したいと思います。 『かくれ里』は『明恵上人』や『西国巡礼』など、京都を中心に西国を巡礼・取材してまわるのがライフワ

  • 歌舞伎美人 歌舞伎美人の本棚 第1回 森見登美彦「京都という舞台装置」 1/4

    03年、京都に暮らす大学生を主人公に、モテない自意識過剰な男たちの妄想がクリスマスの古都を大混乱に陥れるという奇想天外な青春小説『太陽の塔』(新潮社)で「第15回日ファンタジーノベル大賞」を受賞した森見登美彦氏。それは京都大学大学院在学中の華々しいデビューだったが、卒業後の現在も〈京都〉に住まい、〈京都〉を舞台に、精力的に物語を紡ぎ続ける。この若き文士の最新作が、『新釈 走れメロス 他四篇』(祥伝社)だ。

    Kochel
    Kochel 2009/01/09
    「東京でも奈良でもなく、京都だから許される世界っていうか、ヘンな出来事を書いても『京都だから』って目をつぶって読んでもらえている気がする」 /左京区は確かにいい。梅雨時の東山の魅力は異常。
  • アフター・カーニバル: 第一阿房列車(内田百閒)

    (この記事は2004年11月3日に書かれました) 毎度毎度、百閒先生の調子には唖然とする。「ちょっと私用で」と言って出かける人は多いが、「ちょっと無用で」と言って出かける者は百閒先生くらいである。 「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」とくる。「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない」という理屈らしい。しかもその無用の旅に際してはこだわるべき趣旨がある。 1、「一等でなければ乗らないときめた」。決めたって金がなきゃどうしようもないものだが、そういうことは先生強情で「なくてもなんとか乗る」が基である。ただ帰りは「帰る」という「用事」が出来るので一等でなくてもいい。 2、大阪に着いてみたところで用事はないからそのまま外にも出ずに帰ってくる。見物も「用事」になるらしい。この「何にも得るところのない」アホらしさが「阿房列車」である。一体なんのための旅な

    Kochel
    Kochel 2008/12/25
    改めて、正字正かなで讀みたい。
  • Amazon.co.jp:グレン・グールド発言集

    Amazon.co.jp:グレン・グールド発言集
  • きらきら草紙 | 新かな/新字はイヤダカラ、イヤダ―別冊太陽の百間特集

    新かな/新字はイヤダカラ、イヤダ―別冊太陽の百間特集 内田百けん―イヤダカラ、イヤダの流儀 (別冊太陽) この商品をレビューしたブログ一覧» 評価: --- 平凡社 ¥ 2,415 (2008-08) ふたたび百間の旧かなに拘ってみたい。試しに『第二阿房列車』の「雪中新潟阿房列車」の冒頭の一文を各社版から引いてみる。 先ずは福武文庫版(1991年11月刊)から。 上野新潟間の急行七◯一、七◯二列車、「越後」と云うのに初めて乗ったが、その出足の速い事、走れば揺れる揺れ方が律動的で、線路の切れ目を刻む音も韻律に従って響いて来る様に思われた。 何度も書いているが、百間の生誕百年の1989年以降に出た文庫は、全て新かな/新字に改訂されており、当然福武文庫版は新かな/新字が使われている。以下、中村武志の説明である。 1989年は百間の生誕百年であった。これを

    Kochel
    Kochel 2008/12/09
    正字正かなで百間先生が讀みたい!(`・ω・´)
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