明治14年、現代日本の創世記のころ、佐賀の乱(明治7年)、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱(明治9年)、西南戦争(明治10年)など多くの内乱が発生しました。 明治政府は、これら内乱で逮捕された人たちを国事犯・反乱分子として、隔離・収監する必要に迫られ、その地を北海道に求めました。 こうして、アイヌの人たちが「川が合流する地点」(シベツブト)と読んでいた月形に、全国で3番目・北海道で最初の集治監「樺戸集治監」が建てられたのです。 初代典獄(現在で言う所長)は、月形潔でこの方の姓からまちの名前になりました。 この地は、背後にヒグマが生息する樺戸の山々を従え、全面にはとうとうと流れる原始の石狩川が広がる、逃亡不可能な自然の要塞だったのです。 月形樺戸博物館は、樺戸集治監の開監から廃監までの39年間のあゆみを、豊富な資料でドラマチックに展示再現しています。 ● ご利用案内 ● 開