タグ

2016年5月1日のブックマーク (1件)

  • 水上学校の昭和史

    ぼくの家 かつて舟運が盛んであったころ、各地の河川や内海は物資輸送路として今日の自動車道のような役割をになっていました。湾岸に開けた首都東京の水上にも一九六〇(昭和三十五)年ごろまで“はしけ”(艀)と呼ぶ運搬船や材木輸送の“いかだ”(筏)が行き来していました。 次の作文は、一九四〇(昭和十五)年ごろに一年男子が書いたものです。 ボクノオウチハオフネデス。オヤカタ(親方)サンハ、アラ川カイソウテン(荒川回漕店)トモウシマス。オフネハ一〇八ゴウトイッテ、大ダルマ(達磨)デ一三〇トンツメマス。イツモテツヲツンデ トモエグミ(巴組鉄工所)ニイッタリ 八チョウボリ(八丁堀)ニイッタリ マンネン(万年町)ニイッタリシマス。 ウチニハオトウサントオカアサント 五ツニナルオトウトト 四ツニナルイモウトガイマス。オネエサンハ、アサクサ(浅草)ノ女子ショウギョウガッコウ四年デス。キミエネエサンハ、ムコウジマ(