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宗教と池田信夫に関するKundukeniのブックマーク (2)

  • 宗教を生みだす本能 : 池田信夫 blog

    2012年01月29日10:00 カテゴリ 宗教を生みだす能 宗教は、社会科学の難問である。それは近代的な尺度で考えると何の実用的な意味もないように思われるが、何らかの形の宗教をもたない社会はなく、歴史上の戦争の多くは宗教を争点として戦われてきた。この無意味なシンボル体系が、人々をそれほど強く引きつけるのはなぜかというのは、社会学や人類学の最大の謎である。 デュルケーム以来の社会学では、宗教は人々を統合するシステムだと考えるが、それだけでは未開社会にみられる複雑な儀礼や神話の説明がつかない。機能主義的に考えると、どうみても無駄な部分が多すぎるからだ。レヴィ=ストロースは神話を合理的な思考体系として説明することによって機能主義の限界を突破したようにみえたが、最近の考古学や生物学の発展によって、彼の理論も否定されつつある。 最大の発見は、人類の初期の社会は均衡状態の「冷たい社会」ではなく、

    宗教を生みだす本能 : 池田信夫 blog
  • 自由主義と個人主義の間 : 池田信夫 blog

    2011年07月01日10:34 カテゴリ 自由主義と個人主義の間 昨今の混乱をきわめた政治を見ていると、日人には合理的な意思決定は無理なのかなと思ってしまう。これは丸山眞男を初めとして近代の知識人が、くり返し問い続けたテーマである。従来の丸山論では、日の特殊性を分析する彼の問題意識に賛同する者と、彼が理想化した(実在しない)西洋とひとリ芝居をしていたたけじゃないのという吉隆明などの批判がある。 書は、その西洋的理念に二つの要素があったことを指摘する。それは現代でいえば、フリードマンやハイエクのような明るい自由主義と、テイラーやグレイの批判する暗い個人主義の違いともいえようか。前者は論理によって学ぶことのできる普遍的真理で、日人であっても一定の知性があれば身につけることができるが、後者は特殊キリスト教的な情念で、勉強で身につけることはできない。 西洋人は意識していないが、彼らの

    自由主義と個人主義の間 : 池田信夫 blog
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