創業の原点の地に立っていた御殿山の旧本社工場が重機で取り壊される姿を眺めながら、大賀典雄は「なんでこうなったんだ」とうめくようにつぶやいた。ソニーの遺伝子は、いつどこで途切れたのか。人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」(のちに単行本化を予定)。 目指した姿からズレたガバナンス ソニーは出井伸之が社長だった1997年に取締役会改革を行い、日本で初めて「執行役員制度」を導入している。これは出井の功績とされているが、実際は副社長・CFOの伊庭保が提唱し制度設計を行ったものだ。 この5年前の92年3月期に、ソニーは上場以来初めて200億円を超える営業損失を計上した。米CBSレコーズとコロンビア映画を続けて買収した結果、有利子負債は1兆7200億円と買収前の5倍に膨れあがり、バブル崩壊、円高、商品力の低下と合わせて経営危機に陥った。 急遽、大賀典雄社長は、ソニー生命社長の