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2008年8月1日のブックマーク (3件)

  • 信仰欲 - アンカテ

    人間には性欲と同じように信仰したいという欲求があるのではないか?これがうまく処理されないと、ムラムラしてきてヤリテーと叫んで、あたりかまわず人の迷惑かえりみずヤってしまうような、信仰欲というものがあるのではないだろうか? どちらも社会システムの運営には具合が悪いものである。しかし、性欲に関しては安全に処理する方法がいろいろ開発されてきた。結婚とか風俗とかあきらかにそれと関連する制度もある。CMにキレイなネーチャンが出るのもその欲求を使う技術であり、むしろ我々の社会は性欲をベースに運営されていると言ってもいいくらいだ。 性欲がらみの犯罪が起きるから、エロやAVを禁止すればいいというのは暴論であって、そういうことをするとかえってハケ口を求める若者が暴発しやすくなる。犯罪組織が資金源にしてしまう。かと言って「公的な機関が責任持って対処しろ」というのも無理だ。SEXというのは根源的にパーソナルな

    信仰欲 - アンカテ
  • 2ちゃんねるは「言霊」の制約を受けない場である - アンカテ

    「どの程度の雨で運動会を順延にするか、明確に決めておきましょう。当日の朝6:30の東京都多摩西部の予報が、20%以下なら決行、 70%以上なら中止、その中間の場合は午後の予報を含め、下記の式で算出した確率が・・・」なんてことをしつこく言ってたら、変な奴か嫌な奴である。こうゆう奴がどう変なのか、なぜ嫌なのかを分析して、日人の危機管理意識の低さと共通の構造があることを発見したのが、井沢元彦の「言霊理論」である。 日人は無意識に「何かを音声として発声することで、その事象の発生確率が増加する」という信仰、あるいは迷信のようなものを持っていると井沢は言う。運動会順延の条件を明確化しようとする奴は、「雨」「降る」「中止」等という言葉をたくさん使わざるを得ない。これらの言葉を遠慮なくガンガン使うと、明日、実際に雨になってしまう、というわけだ。確かに、誰かがこういう議論をさんざんして雨天順延となれば、

    2ちゃんねるは「言霊」の制約を受けない場である - アンカテ
  • 日本教の政教分離と信教の自由 - アンカテ

    人は、「和」とか「空気」とか「世間」とか「ケガレ」という概念に支配されていて、自分でも意識しないうちにそういう概念に基いて行動するということはよく言われている。これらは合理的には説明のつかないもので、精神の深い所をかなり強固に縛っているものであるので、宗教に限りなく近く、実際「日教」という言葉もある。 しかし、教祖はいないし教義も戒律もテキストになってないので、日教は宗教とはみなされていない。宗教とみなされてないから、日教は政教分離や信教の自由という原則の適用範囲外になる。 キリスト教の信者が熱心な信者の力で市長に当選して、市内の学校に聖書の講義の時間を作ったり、信者である職員を優遇したら大問題になるだろう。しかし、日教の信者が熱心な信者の力で市長に当選して、学校で生徒に日教の戒律を強制したり、日教信仰の度合いで人事を行なっても問題にならない。 問題にならないというより、大

    日本教の政教分離と信教の自由 - アンカテ