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lifeに関するLoLoのブックマーク (4)

  • 私が学問に目覚めた時 法学部教授・蒲島郁夫

    皆さんと違って私が歩いてきた道は、名門高校から東大に一直線に進むようなエリートの人生ではなく、たいへんな回り道でした。しかし、その回り道人生から得られた教訓は、人間の可能性は当に無限だということです。 私が生まれた所は、熊県の小さな村です。昔は稲田村と言っておりましたから、村の風景が想像できると思います。私は高校を卒業するまで一度も勉強した思い出がありません。全然勉強をしないものですから、高校時代は大変な落ちこぼれで、同級生220人中200番台の成績でした。私の高校時代の姿から、誰も私が東大教授になるとは思わなかったでしょう。 勉強はしませんでしたが、は誰よりたくさん読みました。これが後になって私の人生に影響を与えたように思います。自分の経験していないこと、知らない世界をによって想像する。それがいつしか自分の夢につながっていったのではないかと思います。 少年時代は3つの夢を持ってい

  • 下流志向の私 - 雑種路線でいこう

    最近「何をやりたいの」とか聞かれるとさっぱり答えられない.今やっている仕事にそこそこ満足しているが,あと20年とか30年も続けることではない気がする.これまで何となく興味を持てることを探して,転職も社内異動も自分から能動的にこなしてきたけれども,そろそろ落ち着きどころを決めないと,段々と潰しがきかなくなりそうとか焦りもある. どの仕事も1年くらいで嫌になったり先がみえたりして退いたから,気がつくとたかだか10年の社会人生活で職務経歴書が2ページでは収まらなくなっているけれども,この3年くらい似たような仕事をしている.バタバタ働いて個々の局面で結果は出せた気もするけれども,じゃあ一言で何をやったのかといわれても答えにくい. システム構築から離れた時点で覚悟していたことだが,あれをつくりました,これをつくりましたというのは分り易くてよい.調整とか折衝という仕事は,まあ結果的に世の中が複数均衡あ

    下流志向の私 - 雑種路線でいこう
  • 自分探しの起源 - 雑種路線でいこう

    仮に「受験勉強」が若者の個人主義を涵養するならば、日の戦後成長はなかったのではないか。問題は年金と一緒でサラリーマンでいることの保険料が世代によって著しく不平等だから、若者は燃え尽きる前に馬鹿馬鹿しくなって降りてしまうのである。今の会社も日社会も、若者が安定を期待してコミットする対象としては理不尽かつ泥舟に過ぎるのだ。まあ泥舟に乗っていれば団塊世代の坊ちゃんだって政権を投げ出して病院に引きこもるご時世だし、人間なんてそうそう簡単に質的に変わるはずがなく、違うのは時代とか空気って奴なのだろう。 「受益者が私ひとり」であるような仕事を「やりがいのある仕事」と呼ぶ不思議な労働観が生まれたのにはもちろん理由がある。それは「受験勉強」の経験が涵養したものである。 (略) 私たちが労働するのは自己実現のためでも、適正な評価を得るためでも、クリエイティヴであるためでもない、生き延びるためである。成

    自分探しの起源 - 雑種路線でいこう
  • 日本人は「生きて」いない

    養老孟司の「運のつき」を読んだ。 中国人なら人を表すのに「人」という漢字ひとつで十分です。日に入ると、それが「人間」になっちゃうんですからね。 「人と人の間」、「人間」というのは中国語では世間のことです。(中略) それが日の常識です。ヒトと世間が同じ言葉になっているって「ものすごいこと」だと思いませんか。 そういうなかで考えたことが、「人間」になるか、「人」になるか、です。日にいるかぎり人間であって、人ではない。 ドイツ人学生がいいます。「日人は生きられませんからね」。中国人である著者は、それに賛同する。これが中国人とドイツ人の結論です。 むずかしいでしょ。生きるって。こんな簡単なことは、ほかにはないからです。動物ははじめから「生きて」ます。それを籠に入れて、まったく動けないようにして、餌と水が目の前を流れるようにしてやる。それがブロイラーです。だれかの生活がそれに近づいたとき、見

    日本人は「生きて」いない
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