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批評に関するLoneStarSaloonのブックマーク (5)

  • 映像論序説 北野圭介

    ―映像論序説―   <デジタル/アナログ>を越えて 北野圭介 【目次】 (下線のところをクリックしてください。各章の文へリンクしています。) 序章 (07年6月29日) 第1章 画面とは何か――〈スクリーン〉と〈モニター〉の間 第1節 アナログとデジタルの連続 (07年7月31日) 第2節  映し出されたものと映し出されるはずだったものの間 (07年8月31日) 第2章 映像と身体 第1節 見つめる身体と操作する身体 (07年12月7日) 第2節 厚みと膨らみ (08年2月21日) 第3章 映像とその外部 第1節 映像が映し出す物語 (08年3月17日) 第2節 遮断と接続 (08年5月21日) 結論――イメージの唯物論へ向けて(08年6月13日完) 北野圭介(きたの・けいすけ)/1963 年生。ニューヨーク大学大学院映画研究科博士課程中途退学。ニューヨーク大学教員、新潟大学人

  • 新・アニメ・批評 - FC2 BLOG パスワード認証

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    LoneStarSaloon
    LoneStarSaloon 2008/12/20
    原作付きアニメを見るときは原作の存在自体を忘れて見てます。
  • http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20071004

    LoneStarSaloon
    LoneStarSaloon 2008/12/17
    ”創作は、何か他の目的に役立つためにあるのではなく、それ自体が目的、それ自体が生き甲斐になりうるものなのだ。精神的な価値なのだ。そういうものとして最大限自由であるべきだ。”
  • http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/goebbels/essay/game2.html

  • インタラクションとかなんとか - motidukisigeru’s diary

    さて「ゲーム性」という単語が、往々にしてゲームの性質そのものを語るためではなく、「難易度信仰」と「選民思想」を正当化するために持ち出されラベルである、と、昨日書いた。 「難しいゲームを理解できる俺、エライ!」というわけだ。 「文学性」とか「作家性」とかも似たような言葉だ。 ブンガクとは何か、オリジナリティとは何か、というのではなくて、要するに「難しい作品を理解できる俺、エライ!」と言いたいがために使われる言葉である。 これらは言い換えれば「自慢しやすさ」≒「語りやすさ」である、と、言えよう。 ゲームでもラノベでもなんでもいいが、「語りやすさ」というのは、その作品の価値の一つである。が、その価値の全てではない。 当たり前だが、これを忘れる人が多い。 例えば、ここに一冊のマンガがある。一人の読者が、このマンガを屋で買ってから読み終わるまでについて考えてみよう。 まずは、屋のどこに並ぶか、だ

    インタラクションとかなんとか - motidukisigeru’s diary
    LoneStarSaloon
    LoneStarSaloon 2008/11/16
    ”「語れる部分が多い=良作」「少ない=駄作」と決めつけ、「語れる部分が少ないのに売れてる作品=高尚なものを理解できない愚民向け」と決めつけることが多い。”
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