永先生:言葉は一番大切です。でも、好きな人に「あ、この子好きだな」とか「いい人だな」と思われるには、「おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う」、「夕やけを見て、両方が美しいなと思う」というような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが一番効果があります。 例えば、「いただきます」とか元気な声で言っていると、それだけで「あの子いただきますって言ってるな。きっといい子なんだろうな」と思うじゃないですか。「あなたがすき」ですとか、「キミを僕のものにしたい」とか、「世界のどこかで待ってる」とか、そういうのはあんまり効果がありません。 「きれいだな、おいしいな、うれしいな」ということが同時に感じあえる環境が一番大事。だから、「好きです、嫌いです」という言葉ではなく、いい言葉を使っている子は好きになれる。「あの人ならこの言葉は好きだろうな」と思った言葉を何気なく使っているときの方がドキンとします。
ゲームにおいて「勝ちを目指す」ことについて、あるいは超人ロック回顧録 なんだか盛り上がってたみたいなので。 個人的には、これはほとんどゲームデザインの問題であり、純粋にテクニカルな領域だと思う。というか、これが(「プレイヤーの倫理観」とは別のレイヤーで)問題になるという段階で、「ゲームデザイン」が何か大事なものを置いてけぼりにしませんでしたか? というのが正直な感想。 アナログに限って言うと、ゲームの根幹を支えているのは、勝利条件だ。アナログゲームの良し悪しの5割くらいは、勝利条件の設定で決まると思っている。だってそれを目指してプレイすることが、大抵のゲームの前提になっているので。 待てよ、それを目指さない奴がいるから問題なんだろ? と言われそうだが、個人がその意思で「目指さない」と決めたなら、そこから先は倫理学の問題だ。そんなところまでゲームデザインが関与しても、誰得でしかない。 むしろ
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