2020年7月31日のブックマーク (4件)

  • 祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)

    この冬に亡くなった父方の祖母は、祖父の初婚の相手が病没してからの後添いで、最近は後家でもあった。 彼女が祖父と再婚したとき、すでに父も伯父も成人していたので、祖母を慕うでも疎むでもない、いわゆるおとなの距離感だった一方、私と母は祖母とずっと仲良しだった。 祖母と血縁関係がないことを知ったのは小学生時代の半ばだったが、「あ、まじ?」くらいのかんじで、祖母のことは変わらずずっと好きだった。 80歳になった頃から認知症が出始めて、以降はちょっと若返り、ずっと79歳で通した。 90歳近くになっても「80歳になったら遺言状を書く」と言い続けていたので、遺言状書くのが潜在意識レベルで億劫だったんだろう、気持ちは79歳のまま、91歳で亡くなった。 歳もとしで、生存してる知己も皆無のため、葬儀では町内会長が弔辞を読んで下さった。 会費払うくらいの活動しかしてなかった祖母に対して「〇〇地区の発展のためおおい

    祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)
  • この町並みがすごい!~ユニークな町並みコレクション

    の各地には、伝統的なスタイルの家屋が建ち並ぶ町並みが存在する。高度経済成長期から現代にかけての都市開発や建て替えによってその数はだいぶ減ったものの、それでも今もなお昔ながらの風情を残す地域は少なくない。 私は全国の古いモノ巡りをライフワークとしており、これまでそれなりの数の町並みを見てきた。今回はそんな私の偏見と独断による、すごいと思った町並みを紹介したい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:市街地に囲まれた田んぼはどこから水を引いているのか > 個人サイト 閑古鳥旅行Twitter 奇跡の寺内町「奈良

    この町並みがすごい!~ユニークな町並みコレクション
  • 享年17歳の闘病ブログが10年後の今も残る意味

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    享年17歳の闘病ブログが10年後の今も残る意味
  • 居酒屋「あすなろ」とヤクザと私

    私の今も忘れられないアルバイトは、大学に入学したときのことだから、今から三十年以上も前のことになる。私は何か目的があったわけでも、何かを勉強したかったわけでもなく、ただ単純に東京に出てみたくて北海道から東京にある大学に進学した。 しかし、その大学は一年生のときだけ、埼玉県の大宮市にある校舎で学ばなければならなかった。私は仕送りをあまりしてもらえなかったので、その校舎の裏手にある部屋代が格安の学生寮に住むことにした。しかし、その校舎の周辺はほとんど家も店もなく、寮生たちのほとんどは自炊しなければならなかった。お金のない私は費を浮かすためにも事つきのアルバイト先を探したのだが、繁華街は大宮駅周辺しかなく、寮から大宮駅に行くにはバスで二十分ほどもかかる。当時は、まだコンビニがあること自体珍しく、ファミリーレストランも見かけることがほとんどない時代だった。だから、学生のアルバイトといえば、喫茶

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