(※私自身はクソゲーという言葉は使いたくない主義で、何かしらの理由があるにせよクソゲーと呼称する事象には以前より賛同できない立場でしたが、この記事では敢えてたくさん使っています) 誕生したばかりの頃の「クソゲー」という言葉はどちらかと言うと「被害者側の訴え」の意味合いが強かったように思う。 例えばクソゲーと名高い「ジーコサッカー」は、「有名サッカー選手を起用しているのにワゴンセール常連」=「出演費にばかり金をかけて中身が伴っていない」=「ジーコの写真載せとけば売れるっしょという開発・販売元の考えが透けて見える」=「有名サッカー選手に釣られた純粋な子供たちが期待に胸を膨らませてお小遣いをはたいてガッカリしちゃう可能性が高い」……という点で、注意喚起の意味も含まれている「クソゲー」呼称なのだ。 事実、後年のインタビューでは「ジーコ監修と冠しながら実際はプロモーションに協力しただけでジーコはゲー

