ブックマーク / blog.tinect.jp (10)

  • スキルのない素人が、印象と好き嫌いで合否を決めている。それが採用面接。

    仕事柄、たくさんの会社の採用を見聞きしてきた。 そして気づいたのは、「いい人が採れない」理由の多くは、身も蓋もないが給料が安く、仕事がつまらなく、友達に自慢できない職場だからという事実だ。 だから、とりあえず手っ取り早く改善できることとして、いい人を採りたいなら、他の条件がだめでも、せめて給料上げるくらいはすれば、という話を上の記事で書いた。 だが、それでもいい人が採れない、というケースもままある。 その場合、ほぼ間違いなく次の理由で採用できていない。 それは「面接官が無能すぎる」ケースだ。 単純に言うと、面接官が無能すぎて、応募者に呆れられてしまっているのである。 それでいて、媒体のせいにしたり、採用担当のせいにしている会社が結構あるのだから、始末に負えない。 おそらく、社員も外部も、誰もはっきり言わないのだろう。 「当は、面接がダメすぎて、応募者に辞退されているケース、ものすごく多い

    スキルのない素人が、印象と好き嫌いで合否を決めている。それが採用面接。
    MCBYND
    MCBYND 2020/11/25
    どうすればええんや、、、、、
  • 「テレワークに消極的な会社」を見放す人がめっちゃ増えてる。

    から、「友達の旦那が、最近転職した」という話を聞いた。 そこそこの良い企業に勤めていたと聞いていたし、企業が採用を手控えているこの時期だ。 求職者にとっては転職に不利益になる可能性も高い。 だから「なんでこの時期に?」と聞いた。 するとは「テレワークをやめて、出社に切り替えろと言われたので、会社の方針に呆れて転職したんだって」という。 へえ、そんなことがあるのか、と思い、周りの人にも聞いてみると、確かにそのような理由での転職が増えているようだ。 中には、「この時期に出社を強制するということは、社員とその家族の健康を軽んじている」という方もいた。 そういうことか。 私は合点がいった。 つまり「テレワークに消極的な会社」を見放す人が増えているのだ。 * 東京都の現時点でのテレワークの導入率は、約6割。 今後導入予定の会社と併せると、約75%の会社が、テレワークに意欲的だ。 さらに、通勤時間

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    MCBYND
    MCBYND 2020/11/13
    家のほうがよりサボってしまうので反省はしているが、後悔はしない。
  • 「嫌なコンテンツは見ない」心の持ちようは、とても重要だと思った話。

    どうも、しんざきです。 最近kindle端末で子どもたちが漫画を読み漁っていまして、「ゆるキャン△」とか「Dr.Stone」とか「銀の匙」とか「ふらいんぐうぃっち」とか、最初から購入済だったシリーズは最新刊に追いついてしまった、ないし完結してしまったので、次に何を買うか検討中です。 また立川まんがぱーくにでも連れてってあげようかしら。 基漫画に限らず、子どもの読書傾向はあまり恣意的に誘導したくありません。 「好きなを自分自身で見つけ出す」という素敵な体験を、出来ればたくさんして欲しいなーと思っています。 とはいえamazonを使い放題にさせてあげるわけにもなかなかいきません。 「実際にを手にとってあれこれ迷う」という経験をさせてあげにくいという点は、電子書籍の意外なデメリットだなーと思っています。 理想を言えば「山ほどがあって、その中から子どもたちが気になったを見つけてきて勝手

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    MCBYND
    MCBYND 2020/11/12
    見たくないものをフィルターかけつつ、エコーチェンバーにならないように、というのは難しい
  • 「叩いて構わない奴は、とことん叩いていい社会」を、子どもたちは見て育つ。

    オンラインでもオフラインでもしばしば思うことがある。 今日の日社会では、ネットであれテレビであれ 「バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ と言いたくなる風景がしばしばみられる。 なにか不祥事や事故があったら、法的責任が問われるだけでは済むとは限らない。 その責任者は罵倒され、ときには土下座させられる。 法的責任を追求するのとは別に、“感情を納得させる”ために罵倒すること・土下座させることを正義とみなす空気が発生することもある。 もちろん、そうした罵倒や土下座に警察が口出しをすることはない。 最近になってようやく、マスメディアが苦言を呈するようになったぐらいだ(ただし、マスメディアが煽ることもまだある)。 罵倒や土下座強要は、被害届を受理するほどのものではないし、仮にそれで誰かがうつ病にな

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    MCBYND
    MCBYND 2020/09/04
    ほんまそれ。自分に関係のないことには極力心を乱さないように育てたい。ただ、政治、テメーは関係あるからな。
  • 「大人」とは「本当のことをわざわざ言わない人々」

    最近「おとなになる」ことのハードルが随分と(勝手に)上げられているように感じる。 例えば 「社会性の獲得」 「世の中への適応」 「配慮ができる」 「責任を果たす」 「自らの弱さを認める」 と言った言葉で表されている。 しかしそうした「素晴らしいおとな」のイメージを知れば知るほど、「大人になること」が随分と難しく感じられた。 社会に適応することが、とてつもないハードルに見えるのだ。 だが私は最近になって、疑問を持つようになった。 「理想像」で語られる大人は、それはそれとして素晴らしいのだが、「大人」になることがそれほど難しいことであるはずがない。 そうでなければ、人類史上、ほとんどの人間は大人になったことがないとされてしまうだろう。 では大人とは何か。 社会に適応するのは、そんなにハードルが高いのだろうか。 当のことを言わない人たち 「当のことを言わない「おとな」がいる」と気づいたのは、

    「大人」とは「本当のことをわざわざ言わない人々」
    MCBYND
    MCBYND 2020/08/16
    TPOとかご存知? ていうか、「事実を言うこと」だけでコミュニケーション終わると思ってるとしたら、あんた何歳なの?という気持ちになる。論破してイキってる奴らと何が違うの?
  • 僕の「友達ランキング」では下位だったO君だけが、僕のために時間をつくってくれた。

    音楽が聴けなくなる日』(宮台真司、永田夏来、かがりはるき著/集英社新書)で、永田夏来さんが、電気グルーヴの石野卓球さんのtweetを紹介していました。 キミたちのほとんどは友達がいないから分からないと思うけど友達って大事だぜ。あと”知り合い”と”友達”は違うよ — Takkyu Ishino/石野卓球 (@TakkyuIshino) April 4, 2019 このtweetは、けっこう話題になったので、目にしたことがある人も多いのではないでしょうか? 僕は「友達」が極めて少ない人間なので、石野卓球さんとピエール瀧さんの「友情」は、すごく羨ましいのです。 いや、「石野基準」でいえば、僕には「友達なんていない」のかもしれません。 「友達」について考えるとき、僕の頭にいつも浮かんでくる記憶があるのです。 小学校5年で、人口30万人くらいの中国地方の街から九州の地方都市に引っ越した僕は、九州で

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  • 「コンサル一年目が学ぶこと」を読んで、コンサル会社の「容赦ない」カルチャーについて思い出した。

    コンサル一年目が学ぶこと」というについて、知人から「当にこういうことを習うの?」という質問をもらった。 パッと読んだ限りでは、特に違和感はないし、目次を見ていただいても分かる通り、特に「コンサルタントだから習う技術」というわけでもない。 大体、どんな会社でも「やってますよね?」と言われたら、仕事ができる人なら「まあ、やってるよね」ということが並んでいる。 ただ読み進めていくと「コンサル会社ならでは」と言えそうな話もあった。 内容ではない。 コンサル会社のカルチャーの部分だ。 例えば「01結論から話す」において。 コンサルティング会社では、あらゆるものが、「結論から」のフォーマットに沿っていました。 そして、常にそれを意識するよう、すべてにおいて徹底されていました。 コンサルティングの報告書はもちろん、日常のメール、メモ書き、上司とのやりとり、すべて、結論から言うことが徹底されました。

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  • 政治家の「何か言っているようで、何も言っていないコミュニケーション」を馬鹿にしてはいけない。あれは凄い。

    コンサート、演劇、トークイベント。 そういったライブには、ライブならではの良さがある。 プロのライブともなると、演者の情熱だけでなく、技能の卓越を見ずにいられない。 演奏や身のこなし、トークに感動させられるだけでなく、「鍛えられた人間の技能」の可能性について考えさせられる。 録画やDVDで観るより、目の前でリアルタイムに演っているのを見たほうがインパクトが強い。 で、最近私は、「鍛えられた人間の技能」をライブで楽しめる新しいチャンスを発見した。 それは「政治家のお祝いの言葉のライブ」である。 たとえばNHKの国会中継を見ていても、答弁する国会議員や官僚に凄さや面白みを感じない。 言葉尻を捕らえられないよう、役人言葉を使いこなしてみせる様子には技能の卓越を感じなくはないけれども、TV越しに見ているせいか、ピンと来るものがない。 ところが市議や県議のお祝いの言葉をライブで見ると、話が違ってくる

    政治家の「何か言っているようで、何も言っていないコミュニケーション」を馬鹿にしてはいけない。あれは凄い。
    MCBYND
    MCBYND 2019/12/04
    スキルとしての弁論術は、認知されてもいいと思う。
  • 「ネット」がアカンようにするのではなく、その人が元々アカン人だということを「ネット」が暴く。

    インターネットにより、人々は「自分に都合の良い、あるいは、自分の政治信条に合った情報」ばかりに触れやすくなり、さらに「分断」が進んでいく。 これが、いまの「定説」だと僕は思っていたのです。 ところが、この新書では、10万人規模の大規模調査(ネットでのアンケートで、どのくらいの人が正直に答えるものなのだろうか、と疑問ではあるのですが)によって、その「定説」に反論しているのです。 図1は、我々が行ったアンケート調査で、「ネットで実りある議論をするのは難しいと思うか」を尋ねた結果である。調査は2017年8月に実施し、サンプルはウェブモニター調査会社のモニター1890人である。 「ネットで実りある議論をするのは難しいと思う」という人が、47%と半分に達している。難しいと思わない人はわずか7%にとどまっており、圧倒的多数派がネットの議論は不毛だと考えていることになる。 ネットでの議論が相互理解に向か

    「ネット」がアカンようにするのではなく、その人が元々アカン人だということを「ネット」が暴く。
    MCBYND
    MCBYND 2019/11/08
    エコーチェンバー
  • 個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い、「唯我独尊」の人間を大量生産する

    先日、私は自分のブログにこんなブログ記事を書いた。 だけど、叱られない社会をみんなが望んだ。 相互不干渉の浸透した社会のなかで他人に干渉することはますます難しく、勇気の必要な、リスクを孕んだものになっているわけだから、私たちはおいそれとは他人を叱れないし、他人に叱られにくくもなった。 ここでいう「他人に叱られにくくなった」とは、他人に叱られる頻度が低下したという意味だけでなく、他人に叱られ慣れなくなった、という意味も含んでいる。 他人から陶しがられそうな言動を繰り返していても、相互不干渉がマナーになっている現代社会では、誰かが叱ったり注意したりしてくれることは少ない。 自分を叱ってくれる人、それもちゃんと心に刺さるようなかたちで叱ってくれる人は貴重な存在だ。 先日AERA.dotに掲載されていた以下の記事は、まさにそのことを思い出させる内容だった。 66歳男性が風呂場で涙… 友人もいない

    個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い、「唯我独尊」の人間を大量生産する
    MCBYND
    MCBYND 2019/05/22
    叱られないことと、個人主義社会を直接つなげるのは、いささか乱暴では。
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