私は純文学だって、〈「面白く」なくても読み通さなければならない〉などという状況はご免である。それに、〈直ちに投げ出しても、それでどうこうはない〉かどうかを、どうやって判定しているのか、結局村上氏の文ではわからない。 前々回から、「コンテンツのサプリメント化」について書いてきたとおり、サプリメント化したコンテンツは、手持ちの「おもしろいのツボ」に応えてくれるが、そのためにはコンテンツが言うままのルールに従って作品を楽しむことが強制される。 いっぽうサプリメント化していないコンテンツは逆に、こちらに新規のツボを開発してくれるが、それを楽しめる人は、コンテンツが言うままのルールで作品を楽しむことを強制されるのが厭だという人だけである。 きわめて単純化した大雑把な話だけれど、純文学はサプリメント化の度合いが低い傾向がある、という話なのだ。 * * * 文学作品を読んで、人生についてなにやら