日常が底光りする理由 茂木健一郎 最初に見た小津の映画は、「東京物語」だった。私はその頃大学院の学生で、講師のアルバイトをしていた塾の近くのレンタルビデオ屋で、正月休みに他の映画と一緒に借り出した。 当時、私は、ヨーロッパ映画ばかりを見ていた。西洋かぶれの青年だった。日本の映画に、ヴィスコンティやタルコフスキーに相当する人がいるとは、思ってはいなかった。もちろん、「東京物語」が傑作であるということは聞いていた。だからこそ、レンタルビデオ屋で目に止まったのだろう。しかし、「惑星ソラリス」や、「イノセント」に匹敵するような体験が、「東京物語」という作品の中に潜んでいるとも期待してはいなかった。 実際、最初に見た時の印象は、何だか良くわからないものに出会ったという感じだけだった。自分が何を見たのか、良くわからなかった。ただ、見終わった後に、何かわだかまりのようなものが残っていた。 それで、3月