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東北関東大震災に関するMarHearのブックマーク (6)

  • 福島原発の「レベル7」評価が意味すること 深刻だが、悪化したわけではない JBpress(日本ビジネスプレス)

    (2011年4月13日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 日の当局は福島第一原子力発電所の事故の深刻さを表す評価尺度を2段階引き上げて最も高いレベル7としたことで、意図せず人々をミスリードし、事態が突如悪化し、世界最悪の原発事故であるチェルノブイリ並みに深刻だと思わせてしまったかもしれない。 昨日と今日で状況が変わったわけではない 「レベル7への評価引き上げには少し驚いている」。英セントラル・ランカシャー大学のローレンス・ウィリアムズ教授(原子力安全確保が専門)は、こう話す。 「損傷した3つの原子炉や4つの使用済み燃料プールの状況に大きな変化はないし、大気中に漏れ出す放射能が突然増えたわけでもない」 オーストラリアのモナシュ大学の原子力安全確保の専門家、ジョン・プライス氏は、評価引き上げは「今日の状況が昨日より悪いという意味ではない。今回の事故が全体として、これまで考えられていたより深刻

  • Nuclear fallout causes mutated snow flakes

    MarHear
    MarHear 2011/04/01
    放射能の影響で福島では雪の結晶が変異しているって
  • asahi.com(朝日新聞社):原発避難指示圏内に100人超 「政府は実態知って」 - 社会

    政府が福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)の半径20キロ圏内に避難指示を出してから20日、屋内退避をしていた20〜30キロ圏内の住民に自主避難を要請してから1週間がたった。  朝日新聞が3月31日、対象となる福島県内の12市町村に尋ねたところ、避難指示圏内に100人以上が残っていることがわかった。同25日に自主避難を要請された屋内退避圏内でも、2万人以上が暮らしている。  避難指示、自主避難要請の双方の地域を含む南相馬市。「避難要請地域だけでも2万人以上いるとみられるが、出入りが多くて把握しきれない」(担当者)という状態だ。指示や要請が徹底しない背景には、継続的に調べている市内の大気中の放射線量が、圏外の測定地点より低いこともあるようだ。  「放射線量は原発から遠い福島市の方が一貫して高い。政府は20キロで線引きしている根拠を示してほしい」と、ある市職員は言う。災害対策部のある原町区は原

  • 亀田製菓、地震による内定取り消し者を採用へ : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    米菓大手の亀田製菓(新潟市)は31日、東日巨大地震の影響で内定を取り消された新卒者などを対象に入社試験を行うと発表した。 4月いっぱい募集し、5月中旬に仙台、盛岡、福島市などで面接を行い、6月1日付で10人程度を正社員として採用する予定だ。 試験に際し、内定取り消しを証明する書類や、スーツの着用は不要。採用されれば、通常の新入社員同様、住居費の一部や一時支度金も提供する。同社は「若者を支援することで、少しでも復興に協力できれば」としている。 亀田製菓は東証2部上場。「亀田の柿の種」「ハッピーターン」などの商品で知られる。2010年3月期の売上高(連結)は過去最高の約800億円。従業員数は約2900人。採用試験についての問い合わせは、同社人事課(025・382・8831)へ。

    MarHear
    MarHear 2011/04/01
    子供の頃、亀田製菓で働くのが夢だった
  • 東日本大震災:私たちにできること 脳科学者・茂木健一郎さん - 毎日jp(毎日新聞)

    大震災に見まわれた東日。大きな喪失感の中で今「私たちにできること」とは--。 ◇ものごとが自動的に進む時代は終わった。 ◇自分を作り直す契機 東日の被害はすさまじく、こんなに気が重いのは初めてです。でも日人の脳の「文化的遺伝子」の中には、自然災害に対する行動原理が組み込まれていると思います。いざという時の底力がある。そこに強みがある。 西日まで縮こまることはありません。復興には多額の資金が必要であり、経済を活性化させないといけません。いつも通りに物を作り、生活し、花見もする。生きることの多様性を保たなければ。大阪や九州は安全だとアピールし、外国から観光客を呼んで稼ぐことも重要だと思います。 この10~20年、日は神経症のようにルールを過剰に重視し、例外的なものを認めない社会でした。市川海老蔵さんの事件、京大入試のカンニング……ささいな事柄で大騒ぎしていた。電車が時刻通りに来ること

  • 此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う (読売新聞) - Yahoo!ニュース

    「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。 東日巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」 州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛) 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになっ

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