以前、新潮文庫版で読んで以来の再読。ドストエフスキー文学のモチーフがそこかしこに散りばめられているデビュー作。悪くはないが、その後の作品と比べるとやはり薄味。 やはり、これからドストエフスキー読むなら「罪と罰」以降の大作から読んだ方が良いと思う。 厚かろうが薄かろうが、読み始めたら一気に読んでしまうことにおいては、どの作品も同じだし。 #ドストエフスキー #光文社古典新訳文庫
![MarHearさんの感想・レビュー](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f1d80ca391742dbec363aa6483f219de739d0370/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F418GRsQIrgL._SL500_.jpg)
本として読む初めてのドストエフスキー。 47歳の下級官吏マカール・ジェーヴシキンと、若くして両親を失った18歳くらいのワルワーラ・ドブロショロワの半年にわたる往復書簡。 まず、人物名がスムーズに読めない上に意外に多くの人がこの往復書簡に登場するので、なかなかそこから入り込むのが難しかった。 その歳頃にしては随分聡明で落ち着いているように思えるワーレンカ(ワルワーラの愛称)が、なぜこんなやけにプライドが高いくせに妙に卑屈で自意識過剰なマカールと文通を続けたのだろうか疑問に思う。 マカールは毎回「愛しいワルワーラ」、「私の天使」などと呼びかけているが、ワルワーラは「優しいマカールさん」、「親愛なるマカールさん」という具合だし。 二人の手紙だけで成り立っているので当然そこから様々な物事を読み取らなければいけないし、解説にも行間を読むことが肝要だと書かれていたけれど、わたしにはまだそれが難しかった
コーヒーをこぼしても気にしない! 人間はコーヒーをこぼしてしまう生き物であることが研究で証明!2012.05.13 06:00 そうこ あぁ、またこぼした...。 マグカップからコーヒーをこぼす。こぼさないように気をつけているのにまたこぼす。なんでなのでしょう。どうやら、人間はコーヒーをこぼすようにできているようです。コーヒーをこぼさないなんて、我々は生物学的に無理なのです! カリフォルニア大学サンタバーバラ校のメカニカルエンジニアチームは、なぜ人はコーヒーをこぼすのかを研究してきました。なんでこんな研究しているのかはわかりませんが、とにかく研究してきました。その研究結果が、人はコーヒーをこぼす生き物だ、と言っているのです。ならば、しょうがないですね。 実験では、被験者にマグカップを手にもって様々なスピードでまっすぐな線の上を歩いてもらいました。カメラで被験者の動きとマグカップの起動を、マ
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