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2017年7月24日のブックマーク (2件)

  • 何故、古代史の舞台は奈良盆地なのか?・・・大阪は河内湖、大和は湿地帯だった。

    何故、古代史の舞台が畿内でも奈良の山奥から始まるのか、そして次第に河内に舞台が移っていくのか、不思議に思われる。この謎は実は現在の地形を前提に考えているからで、かつて大阪は上町台地のみが陸地で他は河内湖と呼ばれる内海であり、大和は標高60m以下は大湿地湖だったとされている。縄文中期以降、海退が始まり、次第に陸地が広がって行くという地理学的な前提をふまえると、古代史の舞台が奈良の山奥から始まるという謎も解けてくる。 >奈良盆地の東方の山裾を縫うように、細々と南北に続く道がある。その名を「山の辺の道」という。古社寺や名所旧跡、古墳などが道沿いに点在し、古代の面影をよく残している・・・人が住むところに道ができるのは当たり前だが、ではなぜ「山の辺の道」は標高60m~70mの高度を保ちながら三輪山の山麓をめぐっているのだろうか。その理由を大和湖の存在に求める学者がいる。三輪山麓に人類が住みついた縄文

  • 大阪から消えた巨大湖 - あおぼし空