○前書 サルトル著『家の馬鹿息子』は大部です。 ですが、読む価値は十分にあります。フローベール論ではありますが、その分析は、いわゆる「お約束」を嫌う作家や、その作品、そうした作品を好む鑑賞者に普遍的に援用できます。 近刊では、藤本タツキ著『さよなら絵梨』のラストは論争を招くものですが、本書の『聖アントワーヌの誘惑』のラストの分析をそのまま適用できます。(ちなみに、フーコーも『幻想の図書館』で、『聖アントワーヌの誘惑』のラストについて同様の分析をしています) とはいえ、あまりに大部なので、要約を掲載します。 ○第Ⅰ巻・はじめにpp.17-8 言葉の物質性 …p.19 「われ」は言語 p.24 〈真実〉はよそよそしい。 …p.36 逆もまた然り。無媒介の経験もすでに言葉的。 ……p.37 言葉は自分の中で全てを創造できるはず。 p.38 文化とは掠めとられること"ではない"。 …p.40 話す