一、茶は服のよきように点て 「服」とは、飲むことを意味します。茶に限らず、薬・煙草にも用いられる言葉で、服用・一服などと例を挙げれば分かり易いかもしれません。 ここで言う「服のよきよう」とは、飲んだ人にとって「調度良い加減」という意味となります。つまり、自分の点て易いように点てること戒めているのです。 但し、これは単に客の好みに合わせろということではありません。その時・その場所での客の気持ちを察して、「よく考えて点てるように」ということです。 (有名な豊臣秀吉と石田三成との出会いの場面は、この良い例でしょう。) 亭主の解釈……「事を行うには、相手の気持ち・状況を考えて。」 二、炭は湯の沸くように置き 「炭」は無論木炭のことですが、これは単に「湯が早く沸騰するような炭の置き方」を云々しているのではありません。 ここで言う「置き」とは、「湯の沸くよう」にするための行為全
大正から昭和前期にかけて、東都を中心に伝統から脱した新しい茶の湯が行われておりました。 その中心にあった人物は益田鈍翁、すなわち三井物産初代社長益田孝(1848−1938)です。鈍翁は明治以来、日本古来の美術品が海外に流出していることを憂い、自ら古美術の蒐集を行うとともに、かつて使われることのなかった仏教美術などの古美術を茶の湯の世界に取り込み、鈍翁独自の茶風を打ち立てます。 大正2年頃、鈍翁は一人の青年と出会います。愛知県一宮苅安賀の素封家森川勘一郎、後の如春庵です。 如春庵は幼少時から茶の湯を名古屋の西行庵下村実栗に習い、15歳ですでに久田流の奥義に達していたといわれていますが、天性優れた審美眼の持ち主で、16歳の時、西行庵宅で出会った本阿弥光悦作の黒楽茶碗「時雨」を懇望し入手します。 さらに19歳にして平瀬家の売り立てで同じく光悦作の赤楽茶碗「乙御前」を買い、所持します。十代
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