4.カヨコが「わたしの国」と呼ぶアメリカは、そして、「実力があれば誰でものしあがれる」国として、なんだかぼやけた輪郭で描かれている。 そもそも「実力」とは何かが一コマも描かれていないので、カヨコにどんな実力があるのかも謎である。 アメリカの政治家にとって、実力と言うものの中に、「アメリカンスタンダード」を体現しているかどうかということがあるのは間違いない。それは中身というよりはむしろ外見であり、「正当性」を感じさせる力、「わたしはアメリカの価値観を体現している」と人に信じさせるコミュニケーション力、「つながる力」である。 それにはとほうもないアーティキュレーションが要求される。ヒラリー・クリントンだって、遊説先によって少し英語のトーンを変えているくらい、微妙なコミュニケーション力なのだ。たぶんそれは日本の政治家がまったくもって持っていないし、ひょっとしたら見たことも聞いたこともないものだ。