「出会いが人を成長させる」 ○…川崎フロンターレの名ディフェンダーが新城高校で教鞭を執った。「まだ半人前にもなれていないけど先生と呼ばれると責任の重さを感じる。目の前の事を一つずつこなして一人前になりたい」。落ち着いた口調に熱い思いが見える。サッカー部の顧問としても汗を流し、「いろんな子どもたちが集まる公立校で自分の意志さえあれば目的を叶えられるということを教えたかった」と第二のキャリアをスタートさせた。 ○…小学校低学年のとき津田山FCでサッカーを始める。「エリート街道とは逆の道を走ってきた」というように向丘中、現・弥栄高校とサッカーでは無名校に身を置いた。転機は大学時代。世界選手権に出場したことで、プロからの注目を受ける選手になった。1999年にはジュビロ磐田に入団。翌年、地元である川崎フロンターレに移籍すると屈強なフィジカルを活かしたディフェンス力で守備陣の要として活躍した。「すごく