《上は釈迦涅槃像のレリーフ。左端に髭を蓄えたギリシャ神的な姿も》 古今東西のあらゆる宗教は記憶から発生したものです。仏典も聖書もクルァーンも、言っていることはおそらくこの一点…、「ブッダを、神を、思い出せ。そして記憶せよ」 祈るとは〝憶えておく〟こと。漢訳仏典に「念」と記された原語:स्मृति(スムリティ)はmemory, retentionを表します。言い換えるなら、ハッと我に返る瞬間、それが祈りのモチベーションでしょう。その意味で、祈りは〝意の理〟でもあると思います。 さて、さすがに最近は聞かれなくなりましたが、一時巷間に流布した「釈迦は葬式をするなと言った」云々の話。葬儀に関する嘘マナーやデマの中で最たるものといえますが、時にはそれに続けて「なのに日本では僧侶が…」などと世界の仏教国すべてを無視したり、挙げ句には「神道の影響か」と妄想を膨らませる向きもありました。いやはや、敗戦前の