かねがね「東大卒」を専売特許的に自己同一性の中に組み入れてしまうタイプの人は、裏を返せば、一族代々皆東大・友人知人も皆東大という環境では育っていないということの証左であり、だからゆえに、その俗物性を笑ってはいけない、その人物(ならびに家族)にとっては、逆上がりができたとか乳歯が生えかわったとかいったごくアベレージのプロセス以上の意味と価値があるのだから、「軽蔑したら逆に差別になっちゃいますから」という、それはそれである種の人々はむかつくであろうPC意識が、自分の中にはある。「非モテ」の自称とかも同じで、要は相手へのおもてなしのセンスが生育歴の中で身につけられていないというのは社交・外交の頻度の少ない階層性の発現にほかならないだろうから、「それを笑ったら、差別になっちゃいますから」という意識がある。「博士号」や「単著」も同様で、「先生と呼ばれるほどのバカはなし」を身をもって知っているのは、常