元和の一国一城令(1615年)で廃城となった原城は、寛永14年(1637年)勃発した世に言う「島原の乱」で、一揆側が籠城した場所である。 平成13年度に行われた原城跡発掘調査で、本丸跡西側の、破壊され埋め込まれていた石垣の前面広場部分から、一揆軍が籠城時に使った推定される建物跡が発掘・発見された。一辺が約2m~3mを測る方形に地面を掘り込んだ半地下式の小屋、すなわち竪穴建物であった。 この竪穴建物群の検出は、文献や絵画資料で断片的に知られていた一揆勢の籠城の実態の一端を明確にする画期的な成果であった。 この竪穴建物跡群には規格性があり、家族単位でしかも同一集落を基本に使用したと思われる。発見した竪穴建物は密集しているが、通路を設定するなど計画性の高さを示している。 また冬場の籠城にもかかわらず竪穴建物では、個別に炉やカマドといった暖房や煮炊きにかかわる遺物や遺構の痕跡が見つかっていない。こ
![問:日本史上、最も長く(江戸時代まで)使われてきた住居形式は? →答:竪穴式住居](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/659a2e5aa88a9c160def97d15f9b00684de8cc33/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblog-imgs-55.fc2.com%2Fr%2Fe%2Fa%2Freadingmonkey%2F2brain_biggests.jpg)