「日蓮「開目抄」:日乾による対校本の翻刻⑧」の範囲で、日蓮(1222-82)は、自身の忍難と慈悲は天台・伝教に優れていると言っておきながら、すぐさま一転して、私は法華経の行者ではないのか?と疑問を呈した。翻刻⑨では、また一転して、法華経勧持品の文*1を引き、私こそがこの文を読んだと、さらなる確度をもって言い切ることで、法華経身読のみならず、自身の法華経弘通と忍難が、むしろ仏語に正当性を与えていると宣言している。そしてはたまた「我が身、法華経の行者にあらざるか。此の疑は此の書の肝心、一期の大事なれば、処処にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし」*2と追究を深めてゆく。日蓮による造語「法華経の行者」には、こうした筆致を重ねることで、意味に厚みが生まれていることを改めて確認した次第である。 勧持品に混入された「瓦石」 さて本稿では、この勧持品の引用文から、日蓮による勧持品・不軽品身読の過程に
新字体(新漢字) ⇔ 旧字体(旧漢字)相互変換 新字體(新漢字) ⇔ 舊字體(舊漢字)相互變換= 新旧漢字変換・新舊漢字變換 = 漢字の旧字体とは、昭和24(1949)年の「当用漢字字体表」の制定以前に使用されていた字体です。このプログラムでは、文字列に含まれる漢字を旧字体から新字体へ、または新字体から旧字体へ変換することができます。旧字体と新字体の対照表も掲載しています。
2 池田 吉田兼好は『徒然草』で、書物を「見ぬ世の友」と位置づけています。この呼び名は、さまざまな書物の写本の断簡をつづって、書道の手本にした書の題にもなっています。「書かれたもの」は、時を超えて心を伝え、心をつなぐものであるからでしょう。 また、中国の哲人は「知己を百年の後に待つ」として、先駆的な自身の思想が、たとえ同時代の人に受け入れられることがなくても、後世の人に自身の真価が認められることを信じて、書物を著しています。書物は、永遠とつながる扉であり、無数の友情を結ぶ絆です。今回の展示品のほとんどが国外初公開のものでした。まさに「見ぬ世の友」との出あいでした。 ジュロヴァ 写本は貴重なものですし、また保存・管理がむずかしいものです。卓越した旧ソ連の学者、D・S・リハチョフは、「写本は人間のようなものだ。それらは、書写され読まれる必要があり、愛される必要がある」と書いています。写本が生
近代から出版された日蓮(1222-82)の書簡集は、国立国会図書館(NDL)で閲覧可能であり、中には版権切れからウェブ公開され、ダウンロードできるものがある。しかし入力された書誌情報が不正確なためか、見つけづらいものがある。ここではウェブ公開中のものをまとめてみた。(書誌IDにリンクを貼った) 日蓮聖人御遺文(=縮刷遺文、加藤文雅編、本間解海・稲田海素対校、霊艮閣版) 二つの版を見つけた。 本書は縮刷遺文と通称される。確かに後述する高祖遺文録の縮刷版という意で、内題は「高祖遺文録」なわけだが、検索しても見つけにくい。 ①初版、明治37年 国立国会図書館書誌ID000000466621 見出し語が「日蓮上人御遺文」としてヒットする。誤記なので訂正してほしい。 ②第15版、昭和10年、第二続集有 国立国会図書館書誌ID000000758527 大正9年に第二続集として増補したものの重版。見出し
法華経は、大乗経典で白蓮のようにすぐれた法を意味する経典だが、当初は大部の経典ではなく、何度かの増広を経て現在の形になったといわれる。本書は8巻28品からなり、巻子本形式の刊本で、天地界線は後に加えられたものである。 春日版は、総称で寧楽刊経、南都版とも称されるが、奈良・興福寺の僧侶が共同出資で仏典を出版したことに起因する呼称である。興福寺別当が管理した春日明神に奉献するという刊語が多くみられた。このため興福寺版でなく、春日版と呼ばれるようになった。この春日版に関しては、この旨の刊語があるものに限るという説と刊語がなくても興福寺僧衆の刊行であればという説、出所の如何を構わず、平安時代以降一定の形式を有する江戸期までのものを春日版とする説等様々である。この版自体、明治以降に唱えられた呼称であるため、書体が概して肉太、豊満で縦長の字形、無匡郭の和様字体がその特徴という広義の解釈で判断すると、本
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く